2週間遅れの開幕戦
2005年3月18日

開幕戦というのは、いつもバタバタしてしまうもので、マレーシアに来てから、何人かのチーム関係者と今年最初のあいさつをした。フィジケラのマネージャーとは、昨年の中国GP以来だったので、開幕戦での優勝談義だけでなく、去年雑誌の企画でいろいろと協力してもらった話などで花が咲いた。
そんな感じで汗を頭頂部から噴水のように吹き出しながらパドックを歩いていると、もう一人、メルボルンであいさつをしていない人物と遭遇した。オリビエ・パニスである(写真左)。彼は今年からテストドライバー兼リザーブドライバーとして、パナソニック・トヨタ・レーシングに同行することとなっている。ところが、そのパニスとはメルボルンであいさつをしていなかった。というより、「たしかメルボルンで会っていない」と思いつつ握手すると、彼はボクだけじゃなく、近くにいたチームのスタッフたち全員と次々と握手していった。
「あれっ?」と思って、握手が済んだ後で、そのへんの事情を聞いてみると、「ああ、キミだけじゃなく、ほとんどの人と開幕戦では会っていないんだ」 と、パニスは壮絶なる開幕戦を述懐した。
月曜日(2月28日)にメルボルンに到着したパニスだったが、ヨーロッパでひいたカゼの具合が悪化。火曜日と水曜日、メルボルンのホテルで様子を見たものの、いっこうに回復しないため、木曜日(3月3日)の朝に帰国の途に付いたのだ。結局、帰国後に体調は回復し、検査の結果も特に異常は認められなかったため、週末パニスは自宅でテレビ観戦していたという。
「ちゃんと3日間、テレビ中継でパナソニック・トヨタ・レーシングの走りはチェックしていたよ。でも、オーストラリアとヨーロッパでは時差が10時間あるから、病み上がりにはちょっときつかったな。日曜日は朝4時起きだったからね。でも、早起きした甲斐はあったよ。ヤルノ(・トゥルーリ)の前半の走りを見て、『今年は行けるぞ』って感じたからね。とにかく、僕にとってはこのマレーシアが開幕戦。チームの進化を早くこの目で見たいね」
2週間遅れの開幕戦。不運なタイヤトラブルとシートベルトの締め直しにより、前戦オーストラリアGPのレースで結果を残すことができなかったパナソニック・トヨタ・レーシングも、同じ気持ちかもしれない。
つらいのはエンジンだけではない
2005年3月19日

2週間前のオーストラリアGPから始めた『F1サーキット走破計画』も2戦目に入り、いきなり大きな壁にぶち当たった。立ちはだかった壁は、マレーシアの暑さ。わかってはいたものの、寒が戻ったばかりの日本から30℃以上の常夏のマレーシアに来ると、身体だけでなく気持ちまでへばってしまう。すっかり陽が落ちた夜8時にプレスルームのモニターで気温が30℃を切ったのを確認してコースに出たが、熱気はまだ十分にアスファルトに残っていた。
ピットロードの出口から、本コースへ出る。すると、ここでまた新たな壁がコース上に現れた。それはセパン・サーキットのとてつもない広さである。公道サーキットのメルボルンは、コース幅が狭い。これに対して、99年に完成したセパンはコース幅が広く、場所によっては20m以上もある。コースに出た瞬間、まるで荒野に放り出されたような絶望感に襲われたのである。さらにコースが広いので、右曲がりの1コーナーを通過して左曲がりの2コーナーへ向かおうとすると、広いコース幅を横断しなければならない。公式には1周5.543kmとされているセパンだが、コースを走っているとそれ以上の長さを感じるのだ。
40分かけてコースを1周したころには、Tシャツはもうグショグショ。こんなところで、耐火スーツを着て、ヘルメットをかぶり、手袋までしてF1マシンに乗り込むF1ドライバーたち。セッション中もピットインするたびに、ブレーキを冷却する小型扇風機や、マシンを清掃する際に使うエアコンプレッサーを使って風を身体に当てるなど、体温を下げるさまざまな工夫が見られた。
World Hottest Grand Prixと謳われているマレーシアGP。その暑さは、2グランプリ目となるエンジンだけでなく、ドライバーの体力と気力にも厳しいグランプリとなりそうだ。
「明日の目標? 優勝だよ」
2005年3月20日

「いい予選でしたね。ビックリしていますか」と尋ねると、いつものように自信をもった笑みを浮かべて、テクニカルディレクターのマイク・ガスコインは、土曜日の予選1回目を振り返って、次のように答えた。
「開幕前にTF105は空力パッケージを一新して、大きな進化を遂げた。さらに開幕戦でわれわれは新しいフロントウイングを投入して、ヤルノ(・トゥルーリ)が予選で2番手を獲得し、レースでも15周にわたって、ルノーを追いかけた。残念ながら、不可解なタイヤトラブルで結果は残せなかったが、われわれが進もうとしている開発の方向性が間違っていなかったことは証明できた。そして今回、われわれはまた新しいフロントウイングを投入した。つまり、パナソニック・トヨタ・レーシングは常に進化している。今日の結果は、当然のリザルトだよ」
ガスコインが言うとおり、パナソニック・トヨタ・レーシングはこのマレーシアGPに新しい空力パッケージを持ち込んだ。一番目立つのは大きくえぐれたフロントウイングだが、そのほかにもサイドポンツーンの上に煙突のように立つラジエターの排気筒の開口部が、上面型から側面型に変更されている。
「トヨタ本社からのサポートもあって、風洞実験のデータはかなり正確になった。さらにファクトリーの製造体制も強化され、今年は毎戦のように新しいパーツを投入しようと思っている」と、さらなるステップアップを図るガスコイン。
「明日の目標は?」という問いに、ガスコインは間髪入れずに「優勝」と答えた。「本当に?」と聞き返すと、「どうしてできないと思うんだい? 今日の予選はみんな同じ条件で走ったんだ。それでウチは、ルノーの間に割って入っているんだよ。つまり、勝てる速さがあるんだ、TF105には。狙わない手はないだろう?」と、ガスコイン。
最後に「ライバルは?」と尋ねると、「ルノー」と断言。「トヨタなら勝てると思うし、私も勝ちたいんだ」と、古巣への雪辱を期していた。こんなにチームが強気な雰囲気に包まれたグランプリは、初めてである。
「まだ次もある!」
2005年3月21日

「トヨタ! トヨタ! トヨタ!」
ポディウムの下に陣取ったパナソニック・トヨタ・レーシングのメカニックやエンジニアたちから、期せずして、そんな雄叫びが沸き起こった。その輪の中にいた高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクターは、なんともいえない充実した笑顔で、表彰台にヤルノ・トゥルーリが現れるのをいまや遅しと待っていた。
「念願の表彰台を獲得できて、本当に良かった。完璧なレースでした」と、高橋DTCが振り返るように、マレーシアGPでトゥルーリが見せた走りは、3年間パナソニック・トヨタ・レーシングを見続けてきたボクでも我が目を疑うほど素晴らしく、力強かった。
レース終盤の48周目ごろから、モニターを通してトゥルーリの右フロントタイヤに現れ始めた黒い筋状のラインに、肝を冷やす場面もあったが、トゥルーリの冷静なドライビングで、それも克服。メルボルンの二の舞は踏まなかった。じつはレース前に、トゥルーリにメルボルンで発生したタイヤトラブルについて尋ねたのだが、「レース後にミシュランがいろいろ検査してくれたんだけど、わからないんだ。もうすっかり症状が消えてしまっていたからね。でも、あれはブリスターじゃないよ。ブリスターなら、これまでも経験したことがあるからわかる」と、トゥルーリの激しいドライビングが、ブリスターを引き起こしたのではないかというウワサを否定していた。トゥルーリにとっても、このレースはどうしても結果を残したい戦いだったのだ(写真中)。
そのトゥルーリが駆るTF105がファイナルラップに入ったとき、いつもはテレメトリールームでチェッカーを見届けている高橋DTCも、このときだけはスタッフたちとプラットホームへ行き、ピットウォールによじ登ったという(写真右)。しかし、あまりの人の多さと、背の高いスタッフに囲まれてしまったために、トゥルーリの勇姿を見届けることはできなかった。
さらにトゥルーリが持ち帰ったシャンパンも、メディアの対応に追われているうちになくなり、一滴も飲めなかったという。
「でも、まだ次がありますから。低速、中速、高速コーナーがあるセパンで速かったということは、コースを問わずにTF105が戦えるということです」と、頼もしいコメントを残してサーキットを去った高橋DTC。
その自信は、初表彰台を獲得した3月20日、レース直後にサーキットでシャンパンファイトを繰り広げた以外、祝勝会などはいっさい行わず、淡々と次戦バーレーンへ向けての準備を進めていたチームスタッフたちの働きを見ていても感じた。
1戦増えて19戦となり、忙しくなった2005年シーズン。次のグランプリが待ち遠しくなってきた。
ラルフがいたから……
2005年3月25日

マレーシアGPのレース後、記者会見を終えてパナソニック・トヨタ・レーシングのピット裏に帰ってきたヤルノ・トゥルーリが、真っ先に駆け寄って抱きしめた者がいる。ラルフ・シューマッハだ。なぜか? それは、トゥルーリが2位表彰台を獲得できた陰の功労者が、じつはR.シューマッハだからだ。
R.シューマッハは予選1回目で5位、2回目も5位、そして決勝レースでも5位に終わった。昨年までのパナソニック・トヨタ・レーシングなら、5位でも素晴らしい成績なのだが、トゥルーリの2位表彰台を前にすると、どうしても5位はかすんでしまう。しかし、R.シューマッハの走りがなければ、トゥルーリの2位もなかったかもしれない。例えば、予選1回目。9番目にタイムアタックに出たR.シューマッハは、午前中から10℃も路面温度が上がってアンダーステア傾向になったハンドリングに苦しみ、1コーナーでミス。午前中のフリー走行で記録した1分32秒台に入ることができず、5番手に終わった。
この情報をピットで見ていたトゥルーリ陣営は、すかさずトゥルーリのフロントウイングを1クリック分、立てる。フロントのダウンフォースを増やしたトゥルーリのマシンは1コーナーだけでなく、セクター2、セクター3と路面温度の変化に影響されることなく、本来のハンドリングを取り戻し、2番手のタイムを記録したのである。
さらに日曜日の予選2回目でも、先にタイムアタックに出たR.シューマッハは、路面状況が変化して、コース全域でアンダーステア症状を起こしてタイムを伸ばすことができず、5番手のままレースへ臨むこととなった。ここでトゥルーリはまたしても、R.シューマッハの情報を元に、フロントウイングに調整を加えてタイムアタック。見事2番グリッドを手に入れたのである。
「もし、土曜日の予選で先にヤルノがアタックしていたら、予選で前に出ていたのはラルフだったかもしれない。そうなっていたら、レース前半にマーク・ウェバー(ウイリアムズ)に引っかからず、今日表彰台に上がっていたのはラルフだったかもしれない。今日のヤルノの走りは確かに素晴らしかった。でも、ラルフだって、ヤルノと遜色ないスピードを見せていました」(高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクター)
トゥルーリがパルクフェルメに戻ってきた後、R.シューマッハのマシンが帰還すると、チームスタッフから「ラルフ、ラルフ、ラルフ」の歓声が沸き起こった。それをファン-パブロ・モントーヤと歩きながら耳にしたR.シューマッハは、その後少し照れくさそうに小さく笑って、手をあげて応えた。
グッドジョブが報われた瞬間だった。