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Rd.11 イギリスGP

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バセロン

2005年7月8日

前戦フランスGPのパナソニック・トヨタ・レーシングのモーターホームに、なつかしいけれど、見慣れない雰囲気の男性がひとり座っていた(写真中と右)。それもそのはずである。彼は昨年まで、ミシュランの青いユニホームを着て、各チームのガレージへ足を運んで、タイヤの管理を行っていたのである。彼の名前は、パスカル・バセロン(写真左)。ミシュランのF1マネージャーとして2000年から2004年まで、第一線で指揮を執っていたキーパーソンだった。

そのバセロンが昨年末にミシュランを退社し、パナソニック・トヨタ・レーシングに移籍してきたのは4月1日。就いた仕事場は、TMGで車体の研究・開発を行う「車体R&D」部門だ。約半年間のガーデニング休暇(F1界にある慣習で、チーム間で移籍した場合に新しい職場や現場での仕事をすぐに始めずに、しばらく自宅およびファクトリーで待機すること)を終えて、6月のヨーロッパラウンドから、現場に復帰してきたのだ。

前回のマニ-クールでは、2種類あるスペック(オプションとプライム)の差がほとんどなかったため選択が難しかったが、バセロンのミシュラン時代に培った経験をもとにオプションを選択。予選でヤルノ・トゥルーリが2番手に入る活躍を見せた。アメリカGPで発生したラルフ・シューマッハのアクシデントの際も、TMGから的確な指示(タイヤへの負荷を軽減させるため空気圧を上げてダウンフォースを削った)をサーキットのエンジニアたちに送り、二次災害を防いだ。

ともに仕事する高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクターも「タイヤの知識だけでなく、サスペンションの知識も豊富で、マシンを総合的に分析してくれる、これまでチームには存在しなかったタイプの人物ですね。かつ常に高い目標を置き、設計担当者とも連絡を密にとって、『タイヤの性能を100%引き出せるサスペンションにするには、どうしたらいいのか』を研究してくれる力強い人間です」と、評価が高い。

もともと、ルノー・スポールでサスペンションを開発し、ミシュランに移籍後も車体開発を行っていたエンジニア。頼もしい人物が、またひとり加わった。

テロ

2005年7月9日

ついに記録が途絶えてしまった。今年、ボクが個人的な思いで始めたF1グランプリ開催全19戦サーキット走破計画である。「まだ11戦目。志が低い」と思われてもしょうがないが、ボクはいつものように木曜日の午後9時半にピットロード出口を出発していたのだ。

第1コーナーのコプスをアウト・イン・アウトで通過し、緩やかに上って、シルバーストーンでもっとも難しいと言われるマゴッツ~ベケッツ~チャペルの複合コーナーを攻略(ちなみに時速4kmで走っていても、クリップを取るのが大変だった)。2年前にプラカードを持ってレース中にコースに侵入者が飛び出してきたハンガーストレートを全開で駆け抜け、99年にM・シューマッハがクラッシュしたストウ・コーナーを無事に通過していった。

ところが続くクラブ・コーナーの進入で、コースを巡回していたパトロール車(警察車両ではない)に呼び止められてしまう。ランニング中、ボクは通常首からぶら下げているパスを汗で濡らすのが嫌でポケットに入れていたので、それを取り出し、彼らに提示して通り過ぎようとした。ところが、サーキットのセキュリティが「ストップ・プリーズ」と再び停止命令をかけてきた。何事かと思ったら、「今日、ロンドンでテロがあった関係で、コースは午後7時にクローズしてしまったんだ。申し訳ないが、いますぐここから退去してほしい。よかったら、このパトロールカーで目的場所まで送っていくけど……」と、事情を説明してくれた。

無念のリタイア。ドライバーの気持ちをちょっとだけ味わった感じがしたが、セキュリティのためとあってはしょうがない。ボクはおとなしくパトロールカーに乗って、ピットレーンで降ろしてもらった。金曜日もコースは午後7時に閉鎖され、パドックからピットレーンに通り抜けるトンネルも閉鎖されたため、車検場に並ぶF1カーの写真を撮るカメラマンの姿も今回は見あたらなかった(プレスルームからピットレーンは見える)。

サーキットに掲げられているユニオンジャックは半旗となり、イギリスに本拠地を構えるチームのひとつであるジョーダンは、ロンドンで7日に発生したテロの犠牲者へ哀悼の意を表し、ノーズをブラックカラーにして、金曜日のフリー走行を行った(写真右)。サポートレースであるGP2では、すべてのマシンがノーズにブラックラインを入れた。

そして、FIAは日曜日のレーススタート前に、1分間の黙祷を捧げることを決定した。

賭け

2005年7月10日

日曜日の午前11時。決勝レースを2時間前に控えたシルバーストーン・サーキットでとんでもないイベントが行われることとなった。それは、ある男性記者が裸でコースを走るという、前代未聞の催し物である(写真左/このイベントは恵まれない子供たちへのチャリティを兼ねており、写真は募金箱にイベントのインフォメーションが貼られている。バーニー・エクレストンからの寄付もすでに収められたという)。

事の起こりは、昨年の6月下旬のことだった。イギリスGPを目前に控え、地元のあるラジオ局が、某タブロイド紙のメインライターを務めるボブ・マッケンジー記者(写真右)を招いて、不振にあえぐ古豪マクラーレンを採り上げたときのことだった。その番組の中で、マッケンジー記者は「イギリスGPだけでなく、今年マクラーレンが優勝することなんて、絶対にあり得ない。もし、ヤツらが勝ったら、裸になってコースを1周してもいい」と断言したことだった。

マッケンジー記者の自信は揺るぎなく、その論調を自らの紙面にも掲載。その毒舌ぶりにイギリスでは大きな話題となっていた。そして……。ベルギーGPでついにキミ・ライコネンが優勝。国民の注目は、約束は果たされるのかどうかに集中した。

そして、その約束がついにイギリスGPで果たされることとなったのである。さすがに10万人の大観衆の前、55歳のマッケンジー記者の大切な部分にはカバーがかぶせられることとなったが、それ以外は衣服の着用はなく、その代わりマクラーレン・カラーにボディペインティングが施されるという。

そのマッケンジー記者に今シーズンのチャンピオンシップを占ってもらったら、「アロンソ」ときっぱり。「もし、ライコネンがチャンピオンになったら」と尋ねると、「いいこと言うね。じゃ、明日ロン・デニスに新しい約束をしに行くよ。『もし、ライコネンがチャンピオンになったら、今度はカリブ海へ行って、裸で海岸を走るよ』ってね」

ちなみにマッケンジー記者のイギリスGPの優勝予想は「アロンソかライコネン」だった。

ストレンジ

2005年7月11日

まるで1週間前のフランスGPを見ているようなシーンだった。スタート直後から先頭集団には離され、後方からは赤い跳ね馬をはじめとするライバル勢に追いまくられるヤルノ・トゥルーリ(写真中と右)。その後も、トゥルーリのペースは上がることなく、ピットストップのたびにポジションを下げるという展開まで、同じだった。

しかし、レース後、高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクターに尋ねると、前回のフランスGPと今回のイギリスGPでは、症状は異なっていたという。

「マニ-クールでは、われわれはレースでオーバーステア傾向になることを想定して、ややアンダーステアに振ったセッティングで予選を走りました(レギュレーションで予選と決勝でセッティングは変更できない)。しかし、路面温度が予選時から大幅に上昇して、すぐにオーバーステアになってしまった。結果的に、予選を重視しすぎたセッティングとなってしまったわけです。だから、今回はその反省を踏まえて、レースを見据えたセットアップを行ってきました。そして、レースではタイヤの空気圧も温度も想定していた範囲内であり、ドライバーからの報告も『ハンドリングに問題はない』ということでした。にもかかわらず、グリップ力が出なかったんです」

この問題はレベルの差こそあれ、チームメートのラルフ・シューマッハにも出ており、ほかのミシュラン勢、あるいはブリヂストン勢にも同じことが言えた。ただ2チーム、マクラーレンとルノーを除いては……。

今回、ミシュラン勢は11人のドライバーがオブション(ソフト)を選択。3人がプライムだった。上位でフィニッシュしたドライバーの多くは、みなオプションだったが、唯一マクラーレンだけがスペックの異なるオプションを選択していた。

「1カ月前のシルバーストーン・テストで、そのスペックはあまりにもグレイニング(ささくれ摩耗)がひどすぎて、使い物になりませんでした。でも、そのときは寒かった。このくらい暑いコンディションの中では、ちょうど良かったということでしょう」

もちろん、トヨタと同じスペックのオプション・タイヤを履いたルノーの2台もこのレースではマクラーレン同様、速さを見せていたので、タイヤ選択だけがスピードが上がらなかった理由ではない。そして、その原因がすぐに究明できるほど、タイヤは単純ではない。

それは、レース後、昨年ミシュランにいて、今年からパナソニック・トヨタ・レーシングに入ったパスカル・バセロンも「ストレンジ」といって、頭を抱えたほどだった。

V8

2005年7月15日

フランス~イギリスのドーバー海峡ラウンドを終えたF1グランプリは、7月13日から3日間、スペインのヘレス・サーキットで合同テストを行っている。このテストの目的はもちろん、目前に迫っているドイツGPと、続けて次の週に行われるハンガリーGPのタイヤ選択とマシンのセットアップだ。

このヘレス・テストにパナソニック・トヨタ・レーシングは3台のマシンを送り込んだ。1台はレギュラードライバー用のTF105で、最初の2日をラルフ・シューマッハが、残りの1日をヤルノ・トゥルーリが担当することになっている(その後、予定が変更され、最終的にR・シューマッハが3日間とも担当した)。もう一台はリカルド・ゾンタが3日間ステアリングを握り、主にタイヤのテストが行われていた模様だ。

このほかにもう一台準備されたTF105。テストを担当したのは3日間とも、オリビエ・パニスだった。ただし、初日、2日目ともに走行周回数は10周前後。しかも、タイムは5~10秒近くも遅かった。特にトラブルがあったわけではなく、パニスはチームが課したメニューを予定通りこなしていたと聞く。なぜか? 

じつはテスト日数が制限された今年、フェラーリを除く9チームは「一日に1カ所で同時に2台までしか走行できない」という紳士協定を結んでいる。つまり、3台持ち込んだTF105でも2台までしか同時にコースインできないため、3台目のTF105を担当するパニスの出番は少なくなってしまったというわけだ。周回数が少なかったのは、そのためだった。

では、なぜそんなに走行ができないにもかかわらず、パナソニック・トヨタ・レーシングはヘレスに3台目のTF105を持ち込み、ベテランのパニスにテストを担当してもらったのか。しかも、5~10秒も遅いラップタイムしか、刻めなかったのだろうか? それはこの3台目のマシンに搭載されていたエンジンが、レギュラードライバーのR.シューマッハやゾンタのものとは、異なっていたからだ。

パニスのマシンに搭載されていたエンジンは、来年用のものだった。そう、パニスは2.4リッターV8エンジンを駆ったのだ。

チームにとって、V8エンジンの実車テストは、今回が初めて。そのため、パニスに課せられたテスト項目はロングランではなく、実際に走行しないとわからないさまざまなことの確認だった。例えば、エアボックス内の空気の配分やエンジンをクルマに搭載して走らせた際の振動、オイルタンクの走行中の影響、冷却系の機能性などである。

搭載されたシャシーはもちろんTF105。V8ということで全長は当然短くなっているため、シャシーとエンジン、それからエンジンとギアボックスの間にスペーサーを設けて、マシン全体の全長を変えることなく、テスト走行できる暫定マシンにしてテストしていた。

聞くところによると、すでにB・A・RホンダもV8エンジンを実走テストしており、このヘレスではBMWも開始。別のサーキットではフェラーリも走らせ始めたという。来季へ向けた戦いが始まる中、2005年シーズンは夏本番を迎える。