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Rd.13 ハンガリーGP

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V8見ちゃった

2005年7月29日

7月15日のGP DiaryでV8のことを書いたが、今回もV8エンジンのことを書こうと思う。なぜなら、ドイツGP翌日の7月25日、トヨタのV8エンジンを見ちゃったからである。

しかも、見たのはケルンにあるTMGのエンジン・ワークショップ。普段、一般の人が近寄ることができない場所である。どうして、そんな場所にボクが行けたのかというと、この日TMGで日本人スタッフが取材する機会をTMGが設けてくれて、それに出席したからだ(その話は8月5日のGP Diaryで行います)。そして、その取材が終了したとき、高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクターの口から、信じられない言葉が飛び出したのである。

「今回、お忙しい中、わざわざケルンまでおいでいただき、何かおみやげを提供しようと思い、ルカ(・マルモーニ/エンジン部門のテクニカルディレクター)と相談して撮影は禁止という条件で、現在開発中のV8をお見せしようということになりました」

話があまりにも大きすぎて、最初は何を言っているのか飲み込めなかったが、エンジン・ワークショップに近づくにしたがって、ようやく事態の重大さに気がついた。ワークショップに向かう途中には、天井から何台もの監視カメラがつり下げられ、分厚い扉が何重にも設置されていた。それらひとつひとつのセキュリティをクリアして、ようやくそこへたどり着いたのである。

V8を見た瞬間、最初に出てきた言葉は「小さい」だった。それもそのはずである。最近はV10に見慣れていて、久しぶりに見るV8エンジン。2気筒削られたそのエンジンはとてもコンパクトだった。全長がどのくらいあるのだろうかと、手のひらをあてて計ろうとしても、高橋DTCは止めようとしない。なぜなら、来年のエンジンに関するレギュレーションでは、2.4リットル、V型8気筒だけでなく、Vアングル90度、ボア径98mm、ボアピッチ106.5mm(±0.2mm)、最低重量95kgなど、寸法的にさまざまな縛りがあり、はっきりいってしまえば、外見上はみな同じようなエンジンになるからである。

では、何が一番重要になるのかというと、振動である。「高回転のV8エンジンはCARTでも散々痛い目に遭いましたが、振動がV10とは比べものにならないほど大きい。それをいかに抑えるかがポイントです」(高橋DTC)

本当は、ベンチで回しているV8を見せてもらえる予定だったが、ボクたちが来る直前のテストで壊れてしまったらしい。プロのエンジニアでも予測できないほど、やっかいなV8の振動。それらの対策を施すため、おそらく実戦デビューまでには、姿形は少なからず変更されるだろうが、いずれにしても新車発表前にすっぴんのニューエンジンを見たのは、これが生まれて初めて。写真はないが、RVX-06の姿はいまも脳裏にしっかりと焼き付いている。

8年前

2005年7月30日

レースはチェッカーフラッグが振られるまでわからないと言われるが、いまから8年前のハンガロリンクで行われたハンガリーGPは、まさにその言葉を地で行くようなドラマが、最終ラップに演じられた。

レースをリードしたのは、ウイリアムズから移籍してきた前年王者のデーモン・ヒル。チームはグランプリ未勝利のアウロズだった。搭載していたエンジンはヤマハで、装着していたタイヤはブリヂストンと、優勝の経験がないパッケージだった。ハンガロリンクは“ガードレールのないモナコ”と呼ばれ、非常にテクニカルなコースである。ダークホース的存在だったマシンが、経験豊富なヒルの手によって、日曜日の午後、一気にプレイクしたのである。

ところが、チェッカーまであと数周となったところで、ヒルのマシンのダッシュボードに、ハイドロ系にトラブルが発生していることを知らせるウォーニングランプが灯る。現在でもそうだが、F1マシンは当時からアクセルやシフトチェンジなど、さまざまなコントロールをハイドロリック(油圧)で行うようになっていたため、ハイドロ系のウォーニングランプの点滅はリタイアを覚悟しなければならないこと意味していた(前戦ドイツGPのライコネンのリタイアもこれと同じような状況だった)。

しかし、当時監督を務めていたトム・ウォーキンショーは「あきらめるな。まだ表彰台は狙える」と、うなだれるチームスタッフにはっぱをかけた。さらに、ウォーキンショーはコース上でレースを続けているヒルにも「ハイドロ系を使わないようギアを5速に固定し、アクセルのオン・オフも極力避けるように」と無線で的確な指示を出したという。

テレビではファイナルラップに突然ヒルのマシンがスローダウンしたように映っているが、じつはトラブルはその前から発生していて、むしろ、いつリタイアしても不思議のないマシンを、チームとヒルが一丸となって2位でのフィニッシュラインまで運んだのである。そして、当時そのヒルのエンジニアを務めていたスタッフが、現在パナソニック・トヨタ・レーシングにいる。青木徳生さんである(写真左/左側はエンジン部門のテクニカルディレクターであるルカ・マルモリーニ)。

青木さんはその後、ヤマハがF1撤退した後もアウロズに残ってハート・エンジンの開発に尽力。2000年の春にパナソニック・トヨタ・レーシングへ移籍し、これまで培ってきた豊富な経験を若いチームに伝授し続けている。

「夢は、やっぱり去年のフェラーリのように、チームを常勝集団にすること。でも、その前にまず1勝ですね」と語る青木さん。あれから、8年。ハンガロリンクのスターティンググリッドへ、青木さんは勝利を信じて、今年も向かう(写真右)。

64回目

2005年7月31日

ヤルノのアタックは、もちろん凄かった。彼は午前中の4回目のフリー走行で燃圧低下でマシンをコース脇に止め、ニュータイヤを履いての予選シミュレーションをやらないまま、アタックに挑んでいた。いつものトゥルーリなら、1コーナーのブレーキングからどんどん攻め、1番目にアタックしていたライコネンのタイムなどは、セクター1で破っていただろうが、ニュータイヤでのフィーリングがわからないので、セクター2まで攻めなかったという。そして、セクター2の連続するコーナーをすり抜けたヤルノは「これでイケる」と確信を持ち、セクター3で爆発。最後のセクターだけで、ライコネンを逆転した。

でも、今回ボクが感銘を受けたのは、M・シューマッハのアタックだった。もちろん、ポールポジションを獲った彼のドライビングも素晴らしかったのだが、今回のポールポジションが彼にとって、通算64回目のPPだった。つまり、あのアイルトン・セナが持つ不滅の大記録と言われる65回のポールポジション獲得回数まで、あと「1」に迫ったのである。

しかし、記者会見ではだれもそのことに触れることはなく、M・シューマッハもまたそんなことは口にしなかった。なぜなら、現在の予選システムが根本的にセナが活躍していた当時とは異なっているからだ。レーススタート時の燃料を積んだ状態でアタックするいまの予選は、すでにレースの一部であり、かつてのような「空タンクでもっとも速い男を決める」セッションではなくなった。そして、そのことを関係者も、M・シューマッハ自身もよく知っている。セナの記録は永遠に抜けないことを。

にもかかわらず、今回M・シューマッハがポールポジションを獲得したのは、フェラーリの燃料搭載量がかなり軽かったからだとも言われている。その真偽のほどはレースが開始して10周前後でわかるだろう。しかし、その答えがどうであれ、今回のM・シューマッハからは、なにがなんでもポールを獲るという気迫が感じられた。チャンピオンシップ防衛が絶望的な状況にありながら、モチベーションを下げないM・シューマッハ。その気迫に、次代のチャンピオン候補であるアロンソもライコネンも、今回の予選では足を滑らせてしまったようだ。

ベストレース

2005年8月1日

2位を走るミハエル・シューマッハ(フェラーリ)の姿が見え始めた40周目を過ぎたあたりから、チームはラルフ・シューマッハに、ある指示を出していた。それは「エンジンの回転数を上げよ」というものだった。その指示を無線で受け取ったR・シューマッハはステアリングに付いてあるREVダイヤルを回して、シフトアップ時の回転数を上げながら走行した。

そして、残り数周。ようやく兄の背後にピッタリとついたR・シューマッハは、ここで最後の手段を使う。左手の親指でオーバーテイクボタンを何度も押しながら、プレッシャーをかけるラルフ。しかし、抜き所のないハンガロリンクでは、必死の追い上げも叶わなかった。

とはいえ、3位を守る走りではなく、2位を取りに行って、結果的に3位に終わったR・シューマッハの顔には、70周を戦い抜いた満足感があった。これで何かが吹っ切れたR・シューマッハ。後半戦は彼が得意のコースが多いだけに、さらなる活躍を期待したい。

一方、チームメートのヤルノの走りもまた素晴らしかった。結果的にラルフに逆転され、表彰台をチームメートに譲る形となったが、今回のレースで見せたトゥルーリの走りは、R・シューマッハに負けないくらい素晴らしいものだった。

というのも、トゥルーリのマシンはスタート直後の1コーナーでルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)に追突され、ディフューザーが破損。レースエンジニアのオッシ・オイカリネンによれば、トゥルーリのセンターディフューザーは半分になっていたという。ディフューザーはダウンフォースを発生させるうえで、とても重要な空力パーツである。それを半分失ったトゥルーリのマシンは、コーナリングでアンダーステアになったり、ある時はオーバーステアになったりと不安定な状態だったという。

そのため、チームは1回目のピットストップで空力圧を調整。さらに2回目のピットストップでも空力圧とフロントウイングを調整し直してトゥルーリを送り出した。その状況の中でつかみとった4位。攻め抜いての3位と耐え抜いての4位。今シーズンのベストレースのひとつだったといっていいレースだった。

TMGの日本人

2005年8月5日

「トヨタのF1活動は日本ではなく、TMGにいる外国人部隊を使って行われている」と、よく言われる。確かにTMGのマジョリティを占めているドイツ人の割合は約7割。残りの2割強もイギリス人、フランス人、イタリア人、オランダ人、ベルギー人と、スタッフ陣容はかなり国際色豊かであるから、そう見られてもしょうがないところがある。しかし、トヨタのF1活動が外人任せかというと、決してそうではない。

今回ドイツGPが終了した後、ハンガリーへ向かうまでの間を利用して、パナソニック・トヨタ・レーシングが日本人プレスをTMGに招待。そこで働く日本人スタッフと話をする機会があった。これまで、ほとんどプレスの前に出たことがなかった彼らの話を聞いてみて、ボクは現在のトヨタF1活動が、少なからず日本人の手によって動かされていることを実感したのである。

現在、TMGには約30人ほどの日本人がいる。今回、取材に参加してくれたのは、そのうちの10名。

技術コーディネーション(車両)担当の新居章年さん(写真左/後列左から3人目)
技術コーディネーション(エンジン)担当の佐藤俊男さん(写真左/後列左から4人目)
風洞エンジニアの田中俊雄さん(写真左/後列左端)
空力CFD担当の林要さん(写真左/前列左から2人目)
車両設計担当の岡部雄介さん(写真左/前列左から3人目)
車両シミュレーション担当の広瀬太郎さん(写真左/前列左端)
車両メカニック担当の杉浦芳之さん(写真左/前列左から2人目)
エンジン設計担当の矢島洋さん(写真左/後列左から5人目)
エンジン実験担当の藤田啓明さん(写真左/前列左から4人目)
TPS(トヨタ生産方式)担当の千村俊和さん(写真左/後列右端)
である。

担当部署を見ればわかるように、日本人スタッフはTMGで車両からエンジン、空力、シミュレーションとマシンづくり全般に絡んでいる。よく「エンジンは日本製だが、車体はヨーロッパ製」と言われるが、今年のフロントウイングは林さん(写真右)のデザインだった。最初は「カッコ悪い」と酷評されたそうだが、実験の結果、データ上もっともすぐれているということで採用されたという。

もちろん、これをもって、トヨタのF1マシンが「メイド・イン・ジャパン」だと言うつもりはない。しかし、取材後の懇親会の席で、ある若いスタッフが「成績が悪いことについては何を言われてもかまわないが、トヨタのF1活動はお金だけを出して、(日本人は)何もしていないと言われることだけは我慢なりません」と語っていたように、TMGにも日本人スタッフがいて、彼らの存在はなくてはならないものとなっているのである。

もうすぐお盆だが、彼らに日本への帰省の予定はない。後半戦、そして来季に向けた仕事が、TMGで山積みとなっているのだから。