ヘレスでの決断
2005年9月23日

先週シルバーストーンで行われたテストで再びBスペックであるTF105Bを走らせたパナソニック・トヨタ・レーシング。前回のモンツァ・テストではハイドロ系にトラブルが発生したため、計測ラップが取れなかったが、今回は3日間トラブルなく走行できた。
しかし、サンパウロには従来型スペックのTF105が3台運ばれ、現段階で日本GPでのBスペック投入は決定していない。それは、シルバーストーンの3日目にラルフ・シューマッハがドライブして、最終的な比較テストを行うはずだったが、その日のテストが雨にたたられたためだった。
ベルギーGPでは、「ブラジルGP前のテストでBスペックの実戦投入が難しければ、もう日本GPの投入は時間的に厳しいのであり得ないでしょう」と語っていた高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクター(写真右)。今回、サンパウロでそのことについて尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「急遽、ブラジルGP後のヘレス・テストにヤルノ・トゥルーリが行くことになりました。目的はBスペックの最終確認です」
当初の予定では、R・シューマッハとリカルド・ゾンタがブラジルGPの後、早めに日本へ向かってさまざまなイベントに参加し、トゥルーリは休暇を取るはずだった。そのトゥルーリを駆り出して、Bスペックをテストさせるという。
「シルバーストーンのテストではまったく問題がなかったし、ドライバーの評価もいい」というBスペック。特にフロントのフィーリングが改善されているというBスペックの最大の特徴は、フロントサスペンション。「マクラーレンにそっくり」(高橋DTC)と言うそれは、サスペンションのロワアームがコックピット下のキールにマウントされているのではなく、コックピット横にじかにマウントされている。
「ブラジルGPの後、マシンはファクトリーでメンテナンスされた後、鈴鹿へ3台輸送されます。その後で、ヘレスでのテスト結果が良ければ、テストで走ったBスペック1台とファクトリーにあるもう1台のBスペックを輸送します。やっぱり地元グランプリですから」と語った高橋DTC。すべては9月29日と30日のヘレス・テストにかかっている。
熱くなれ!
2005年9月24日

いつもなら、約30時間の長旅を終えて、サンパウロの空港に到着すると、湿気と暑さも手伝って「疲れた」という言葉が出てくるのだが、今年のブラジルGPは昨年よりも約1カ月早い9月の開催となったためか、「寒い」というのが、到着直後の感想だった。
その寒さはグランプリ初日の金曜日も変わらず、半袖・短パンでじっとしていると、足が震えてしまうほど。土曜日も低温で、日曜日は雨が降ると言われているので、ほとんど半袖しか持ってきていないボクにとっては、週末をどう乗り切るかという事態に陥ってしまった。
やっかいなのは、チーム関係者も同じ。いまのところ、地元の天気予報では日曜日のレース前後に雨が降る確率が高い。そうなると、タイヤ選択が難しくなってくる。通常、軟らかいオプションタイヤは一発の速さという点ではメリットがあるが、路面がやや濡れた状態では硬めのプライムタイヤの方が安定したパフォーマンスを発揮すると言われている。
しかも、今回ブラジルGPは初日がドライコンディションだったため、タイヤ選択は金曜日中に決定し、土曜日のセッション開始前にFIAに届けなければならない(前回のベルギーGPも日曜日の天気が怪しかったが、初日が雨だったため、タイヤ選択は土曜日の昼12時まで延長されていた)。
難しいのは、タイヤ選択だけではない。土曜日午後に行われる予選に向けたセッティングも悩ましい。現在のレギュレーションでは路面コンディションが変わっても、セッティングは基本的にいじれない。それでなくとも、インテルラゴスはストレート区間とインフィールド区間のどちらに空力を合わせるか、セッティングが難しいところ。
今回、パナソニック・トヨタ・レーシングはフロントウイングを新型にし、リアタイヤ前のスプリッターを1枚追加した。もちろん、ダウンフォースを増加させるアイテムだ。前戦ベルギーGPでは燃料搭載量の違いがあったとはいえ、ウエットコンディション時にマクラーレンを追い回すパフォーマンスをラルフ・シューマッハが演じているパナソニック・トヨタ・レーシング。
もし、雨が降ったら、前回の借りを返す絶好の機会となるかもしれない。寒いインテルラゴスで熱いレースを期待したい。
決定前夜
2005年9月25日

土曜日、午後9時すぎ。ふと気がつくと、プレスルームにはボク以外、だれもいなくなっていた(写真左)。プレスオフィサーやセキュリティスタッフ、さらには掃除婦が数人いるので、正確に言えば、ボク以外のメディアはひとりもいなかった。別に自分が勤勉だと言いたいのではない。仕事は早い人ほど、質がいい。では何が言いたいのかというと、このプレスルームの静けさは選手権が終了した消化試合の雰囲気なのである。
確かにメディアルームを占めるほとんどのプレスがヨーロッパ人なので、時差の関係でブラジルGPはヨーロッパラウンドほど夜遅くまで仕事するひとは少ない。しかし、時差がない地元ブラジル人ももういない。金曜日には夜10時すぎまでボク以外にも数名のプレスがまだ残って仕事をしていたのだ。しかし、明らかに今日はプレスの引きが早い。そして、こういう雰囲気は、タイトルを決した後によく見られるのである。例えば、2002年にフランスGPでミハエル・シューマッハ(フェラーリ)がタイトルを決定した後のグランプリは、常にこんな感じだった。
そう思うのも、無理はないのかもしれない。土曜日の予選で、スーパーラップを刻んだフェルナンド・アロンソ(ルノー)に対して、25点差を追う立場のキミ・ライコネン(写真右/マクラーレン)が犯した1コーナーでのブレーキングミスは、あまりにも痛かった。ライコネンが逆転チャンピオンに望みをつなげるためには、ここでアロンソよりも5点多いポイントを獲得しなければならない。是が非でもポールポジションからスタートしたかったライコネンだが、予選結果はその逆となった。チャンピオンシップ争いが今回の予選で終焉したという雰囲気が、予選後のプレスルームにも漂い、アロンソの出身国であるスペインの報道陣が数人集まって記念撮影するシーンまで見られた。
確かに数字上はアロンソが日曜日にタイトルを獲得する可能性は極めて高い。そうなれば、スペイン人として初のワールドチャンピオン誕生となるだけでなく、F1史上最年少チャンピオンの誕生ともなる。そして、もうひとつ。今まではシーズン序盤に開催されてきたブラジルGPにとって、今回が初のタイトル決定戦ともなる。
しかし予選後、マクラーレンはブレーキをロックさせて、フラットスポットを作ってしまったライコネンの左フロントタイヤをFIAに許可を取って、交換してレースに臨むという情報も入っている。まだライコネンはあきらめてはいない。
果たして、日曜日午後3時半ごろ、インテルラゴスはどんな結末を迎えるのだろうか。ボクもそろそろホテルへ帰って、明日に備えるとしよう。
56周目のピットストップ
2005年9月26日

木曜日に高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクターと立ち話をしていたら、ちょうど川井一仁さんがやってきて、こんなことをおっしゃっていた。
「レースのデータをいろいろ調べていたら、今年はトヨタさんがピットストップでの静止時間が一番短いんですよね」
ピットストップの静止時間とは、マシンがピット前に静止して、再び発進するまでの時間である。テレビ中継では「8.5秒」とか「9.2秒」などという数字で、画面の下にカウントされている、あれだ。
燃料の再給油が許されるようになってから、ピットストップ作業はレースの重要な戦略となった。1秒速いラップタイムが刻めても、コースでオーバーテイクするのは至難の業であることは、今回のブラジルGPで序盤ヤルノ・トゥルーリがミナルディとジョーダンのマシンを抜きあぐねたことからも、よくわかると思う。レース中のベストラップでトゥルーリはクリスチャン・アルバースより2秒速かったにもかかわらず、オープニングラップで抜くことができないまま、セーフティカーが導入された。さらにレース再開後は1.5秒遅いナレイン・カーティケヤンを抜くのに、11周を費やしてしまったほどだ。トップチームになるためには、優秀なドライバー、速いマシンと同時に、迅速なピットストップ作業が要求されるのは、そのためだ。
トゥルーリが後方集団に埋もれていたころ、パナソニック・トヨタ・レーシングはもう1台のマシン、ラルフ・シューマッハをなんとかポイント圏内に入れることに集中する。10番手からスタートしたR・シューマッハは、スタート直後に9番手にポジションを上げたものの、そのあとは原因不明のアンダーステアに悩まされ、上位集団から徐々に離される苦しいレースが続いていた(ミシュランからの説明によれば、R・シューマッハのアンダーステアは「バッチトラブル」、いわゆる製造ロッドになんらかの問題があったと言われている)。
しかし、1回目のピットストップを終えたR・シューマッハの前には同じようなペースで走る8番手のクリスチャン・クリエン(レッドブル)が現れる。R・シューマッハの方がペースはわずかに速いが、ここは1秒のラップタイム差があっても抜けないサーキット。27周目から27周もの間に渡って、約1秒差のデッドヒートを演じるのである。
最初に動いたのはクリエン。54周目に2回目のピットイン。前が開けたR・シューマッハだが、アンダーステアがひどくなかなかペースアップできない。そして、2周後にピットへ向かう。ここでパナソニック・トヨタ・レーシングのピットクルーが素晴らしい仕事を演じる。静止時間5.4秒でR・シューマッハをコースへ送り出すのである。
現在のピットストップの静止時間は給油時間だと言ってもいい。だから、残り16周でピットインしたR・シューマッハには再給油する燃料がそれだけ少なくて済むため、自動的に静止時間も短くなる。しかし、その3周後にピットインしたキミ・ライコネン(マクラーレン)のピットロード滞在時間が22.5秒だったのに対して、R・シューマッハは22.3秒と短かった(ちなみにこの22.3秒は今回のブラジルGPで最短のピットロード滞在時間だった)。静止時間だけでなく、ピットクルーの前にピタリとクルマを止め、給油後素早く飛び出していったR・シューマッハの努力も忘れてはいけない。
こうして57周目、R・シューマッハはホームストレートを通過する前にピット作業を終えてピットロード出口へ向かい、ピットロード出口となるバックストレートでクリエンの前に出ることに成功。貴重な1ポイントを獲得したのである。
レース後、高橋DTCは「フラストレーションがたまるレースだった」と語ったが、1コーナーで2回目のピットストップの攻防を見ていたボクにとっては、手に汗握るいいレースだった。
真夜中のドライブ
2005年9月30日

9月25日のGP Diaryで「土曜日は一番最後にプレスルームを出た」と書いたが、日曜日もまた最後となってしまった。というより、正確には「最後まで居残った」と表現すべきだろう。もちろん、仕事はしていた。用もないのに、夜の12時までプレスルームにいるほど、ボクはワーカホリックではない。しかし、何が何でもプレスルームで書いて、メールを送信しなければならない原稿は、夜11時ごろに終わっていた。あとは翌日に締切が設定されている原稿を1時間ほど書いて時間をつぶしていた。
どうして、そんなことをしていたのかというと、じつは日曜日の真夜中に、ボクにはサーキットで行う密かな楽しみがあったからだ。それは、自分のレンタカーで、サーキットを周回するというものだった。そして、それを行うには、サーキットのスタッフが帰った後、できるだけ夜遅い方がいい。夜11時半ごろ、プレスルームのスタッフが全員帰り、セキュリティのお兄ちゃんが2人だけになったのを確認して、ボクも12時すぎにプレスルームを出て、プレスの駐車場へ向かった。案の定、駐車場付近にいるセキュリティもいない。レンタカーのシートに収まったボクは、いつもなら駐車場を出て右折するところを左折。そこにはコースに入るためのゲートがあるからだ。ゆっくりとゲートをくぐって、2コーナー付近からピットロードに進入(侵入?)した。
昔はグランプリ前日の木曜日にレンタカーでコースを周回することが可能だったが、最近はそれもできなくなった。しかし、日曜日の夜にサーキットを周回するというのは、いまもぎりぎり許されている。それは94年のサンマリノGPのときも可能だったくらい。ただし、そのときはセナが命を落としたタンブレロ付近に多くの関係者が詰めかけ、花を手向けていたため、スロー走行しなければならなかった。前回のベルギーGP後もスパ-フランコルシャンをオペル・メリーバで走行したが、オー・ルージュは5速全開とはいかず、4速全開だった(ちなみにF1カーもオー・ルージュは7速ではなく、1つギアが低い6速での全開となる)。
さて、ピットロードから入ったボクは、バックストレートで本コースに合流。週末のレースに出るためのプラクティスではないから、運転はきわめて安全かつ慎重に。周回の目的は、その日行われたブラジルGP決勝レースの追体験である。例えば、ピットロードを走っているときは、「57周目にクリエンを逆転したとき、ラルフはここを祈るような気持ちで全開で飛ばしていたんだろうな」とか、バックストレートエンドのブレーキングでは「セーフティカー解除後の再スタートでモントーヤにインに並ばれたときのアロンソはどんな気持ちだったのだろうか」なんてことに思いを馳せながら、シフトダウンして、縁石に片輪を乗せる感覚がたまらない。
そして、高低差とうねりがあるインフィールドでのドライブが想像以上に難しいことを体感して、ここを71周したF1ドライバーたちに尊敬の念を持つのである。残念ながら、今回借りたフィアット・パリオでは最終コーナーからホームストレートにかけて、激しい横Gを体感することはできなかったが、それでも2周目の1コーナーではカーティケヤンのインをこじ開けてポジションを上げたトゥルーリの勇気をあらためて思い知った(ここはアウト側にバンクがついていて、イン側からコーナーにアプローチするのは難しい)。
その後、2コーナーからインフィールドへ戻り、サーキット出口へ。サーキットのゲートを通るとき、アロンソはどんな気持ちでこの日の朝このゲートをくぐり、レース後帰っていったのかと考えた。というのも、レース中、そしてチャンピオンを決めた後のアロンソは、24歳とは思えないほど冷静だったが、今回ばかりはレース前、かなり緊張していたのではないかと思う行動をとっていたからだ。それは、レーススタート30分前からマシンはダミーグリッドに着くのだが、アロンソがポールポジションのグリッドに着くと、大勢のメディアが押し寄せ、とてもレースに集中できる状態ではなかったときのことだった。アロンソはひと通りテレビ局のインタビューを終えた後、トイレ休憩をしに、いったんグリッドを離れる。しかしその後、報道陣でごった返している自分のグリッドにすぐに戻らず、ピットウォールで待機するのだった(写真中と右)。だれも近づけない不思議な空間と時間が数分間続いた。そして、そのアロンソの背後にはポディウムがあった。
それから約2時間後、アロンソは史上最年少王者として、そのポディウムへ上がるのである(写真左)。おそらく、これまで味わったことがない最高の気分で、アロンソはインテルラゴスのゲートをくぐり、サーキットをあとにしたに違いない。ボクも幸せな気分でサンパウロの日本人街へ続く5月23日通りを信号無視で飛ばして、ホテルへ帰ったのである。
注)サンパウロでは夜中に信号待ちをしていると、ピストルを持った強盗に狙われるという理由で、左右からクルマが来ていないことを確認して、みんな信号無視するのが常識となっている。