リラックス
2005年10月14日

フリー走行の直前にパドックを歩いていたら、あるチームのガレージ裏からエンジン音ならぬ、爆笑するイギリス人の甲高い声が聞こえてきた。あとセッション開始まで20分というこの段階で、この余裕。と、思って周りを見渡すと、まだドライバーたちの中にはドライビングスーツに着替えていないものもいる。そう、パドック全体がまったりとした雰囲気に包まれているのである。
最初はそれは、「上海のサーキットがあまりにも大きいために感じる錯覚か?」と思っていたら、そうではなかった。先日の鈴鹿でのレースから、気持ちを切り替えられずにいる関係者が多いのである。特に母国グランプリとなったパナソニック・トヨタ・レーシングのスタッフにとっては、鈴鹿はかなり多忙を極めたようで、その疲れが癒されないまま上海に到着した人が少なくなかった。
例えば、通常5~6人、多いときでも7~8人で行うセッション後の高橋敬三テクニカルコーディネーション担当ディレクターを囲む会見に、鈴鹿では常時20名以上が集まった。特に今年は表彰台への期待も高く、土曜日にはポールポジションを取ったこともあってか、会見は1回でさばききれず、2回転あるいは3回転しなければ消化できないという盛況ぶりだった。その間、40~50分、高橋DTCはずっと同じイスに座って、同じ説明をわれわれメディアにしていたことになる。ポールポジション獲得後の会見なら、何度やっても気持ちいいものだろうが、表彰台を逃した日曜日のレース後の会見はさぞかしつらかっただろうと思う。
そんな鈴鹿から上海へ移動してきたF1サーカス。プレッシャーから解放されたパナソニック・トヨタ・レーシングにはのびのびと最終戦を戦ってもらいたい。
最終戦
2005年10月15日

中国では日本で発行してもらった国際免許が使用できないため、ハイヤーを雇ってホテルとサーキットを往復している。今年はPhoto Galleryでおなじみのカメラマンである熱田師匠とハイヤーをシェアしているため、朝が早い。土曜日、朝7時にホテルを出発して、7時45分にプレスルームに到着したら、528席あるデスクにいたのはわずかに2人。その数はセッション開始の9時になっても40名までしか、増えなかった。
みんな大変なのである。何が? さよなら、パーティである。ボクも前夜ブリヂストンのあるスタッフが今季限りでレースの第一線から離れて、日本に戻るというので、その方を囲んで開かれたささやかなお別れパーティに出席。ホテルに帰ったときには、日付が変わっていた。
今回の中国GPは2005年の最終戦であると同時に、いくつかのチームにとってはその歴史に幕を閉じる重要な一戦ともなっている。まずザウバーだ。1993年にメルセデス・ベンツのバックアップを受けてF1に参戦してきたザウバーは、その後フォード、フェラーリとパートナーを変え、今シーズン中盤にBMWへ事実上チームを売却することで合意しており、2005年をもって、13年間のF1での歴史に幕を下ろす。現在ザウバーが使用しているファクトリーとスタッフをBMWになっても継続して使用することになっているが、現チーム代表のペーター・ザウバー(写真右/写真はハンガリーGP)はその座を辞し、事実上引退することが決定している。ペーター・ザウバーは中国GPが始まる直前の10月13日が62歳の誕生日だったということもあり、木曜日からさまざまなパーティが行われていた。ザウバーは今回が215戦目。ベストリザルトは3位(6回)だった。
もうひとつはジョーダン。すでに創始者のエディ・ジョーダンは代表の座から退き、今年からはチームを買収したミッドランドによって経営されているが、来年はいよいよその名もジョーダンからミッドランドに変更される。今回が250戦目のジョーダン。EJ15に搭載されているエンジンは、トヨタRVX-05である。
さらにレッドブルに買収されたミナルディの名前も今季限りとなる。1985年にF1に参入したミナルディは、フェラーリ、マクラーレン、ウイリアムズに次いで、歴史は長い。21年間で今回が340戦目。獲得ポイントはなんと! 38点のみ。その驚きは、「なんて少ない!」ではなく、「これだけのポイントで、よくぞここまで続いた!」というモータースポーツへ賭ける情熱の深さに対してである。今年、イタリアGPの後、ミナルディのファクトリーがあるイタリア・ファエンツァへ取材に行った際、創設者のジャン・カルロ・ミナルディにお会いしたが、彼はファエンツァ生まれのファエンツァ育ちで、何度も名誉市民として称えられている地元のヒーロー。F1の表彰台に立たせてあげたかった(ミナルディの最高位は4位)。
上海でお別れとなるのは、チームだけではない。ミシュランの顔として長年、F1でその存在感を披露してきたピエール・デュパスキエ(写真左/日本GPでトヨタの齋藤前副社長から激励を受ける)も今回が最後のレースとなる。御年68歳。ボクがちんたらとサーキットをランニングしている脇をローラーブレードでさっそうと走り抜けていく姿が忘れられない。鈴鹿で日本人プレスから、そしてこの上海では多くの関係者からプレゼントをもらっていたが、最高のプレゼントが念願のチャンピオン獲得だったことは言うまでもない。
「時代は変わる。そして、それはだれも止めることはできない」(ボブ・ディラン)。F1の歴史もまた新しい時代へと突入していく。
さよならV10
2005年10月16日

土曜日のGP Diaryで「この中国GPがザウバー、ミナルディ、ジョーダンらにとって最後のレースになる」と書いたが、もうひとつ、この中国GPで最後を迎えるものがある。それはワークス体制で供給される3リッター、V10エンジンだ。
来年からエンジンはレギュレーションによって、V型8気筒の2.4リッターに規制される。すでにパナソニック・トヨタ・レーシングも7月中旬から、このV8エンジンの実走テストを行っており、7月15日と7月29日のGP Diaryでも、そのことは触れている。1996年から3リッターに規制され、その後ほとんどのエンジンがV10で参戦していたものの、レギュレーションにV型10気筒が明記され、長い間F1のエンジンは3リッターV10で統一されていた。
ボクは3.5リッターエンジンの最後となった95年の最終戦アデレードも見ているが、あのときも怪物マシンであるはずのF1が小さくなっていくような感じがして、一抹の寂しさがあったが、今回はそれを超える感慨がある。なにしろ、V8になるだけでなく、2.4リッターとなるのだ。
もちろん、96年に3リッターに規制された後も、グランプリエンジンの馬力は上がり続けた。F1のエンジン開発競争は、ボクたちの想像を超えた世界で行われており、2.4リッターV8になったからといって、そんなに悲しむ必要はないのかもしれない。しかし、新しいシーズンが幕を開けて、しばらくの間、ボクたちは慣れ親しんだあのV10サウンドとは違うV8サウンドに、戸惑いを隠せないだろう。
10月16日、午後2時。ボクは今回もコースサイドでレースを見ると思う。でも、今回は素晴らしきドライバーたちの走りを写真に収めるためではなく、偉大なるV10ミュージックを鼓膜に記憶させるためにコースへ出ようと思う。向かうは最高速の計測ポイントであるバックストレートエンド。もちろん、イヤープラグはしない。
ペナルティがあってもなくても
2005年10月17日

今回のラルフ・シューマッハの表彰台を「ジャンカルロ・フィジケラに出されたピットスルー・ペナルティによる棚ぼた」だと思っている方がいるようだ。何を隠そう、コース脇でレースを見ていたボクも最初はそう思いこんでいた。しかし、レース後、さまざまなデータを見ていくと、日曜日のレースでR・シューマッハはペナルティがあっても、あるいはなくても表彰台を獲得していたことがわかった。
それを説明する前に、まず29周目にセーフティカーが出されたタイミングで翌30周目に、チームとR・シューマッハは、なぜピットインしなかったかを説明しよう。
56周で争われる中国GP。30周目にピットインすれば、そこでチェッカーまで走りきれるだけの燃料を搭載することができるため、上位陣を含め12台のマシンはここで迷わずピットインする。確かにセーフティカーが導入されたこのタイミングでピットインするという作戦は常套手段である。ところが、それでは順位を上げることは難しいのである。そこでチームは1回目のピットストップ時に燃料を多めに積んで、第2スティントを長く引っ張る作戦に出ていたR・シューマッハをあえて、コース上にステイさせるのである。なぜか? トップのフェルナンド・アロンソ(ルノー)から12秒遅れで29周目のコントロールラインを通過していたR・シューマッハは、ピットに入らずにそのままコース上を走れば、余裕でアロンソを抑えて先頭に立つことができると考えたからだ。
先頭に立つことができれば、2回目のピットストップでほぼ満タン状態のルノー勢とライコネンのペースに付き合うこともなく、再スタートとともに飛ばしていける。そして、後続とのマージンを築いたところで2回目のピットストップを行えば、充分表彰台を狙えると考えたのだ。
ところが、この目論見はルノー勢が仕組んだ戦略で崩されてしまう。2番手を走行していたフィジケラが、不必要にスロー走行したのである。これは今年のベルギーGPでマクラーレンが採った作戦と同じである。同じような順位にいる2台が同時にピットインすると、当然のことながら、後ろのドライバーは前のドライバーが給油を終えるまでピットで待たなければならない。それでは、ピットイン前に後ろにいたドライバーに抜かされてしまう。フィジケラはアロンソとの間隔を静止時間分とってピットインし、チームメイトの給油作業を待つ必要はなく、後続にも逆転を許さないという作戦に出たのだ(実際にはキミ・ライコネンの逆転を許す)。しかし、これはベルギーGP後、ブラジルGPからレギュレーションによって禁止されており、フィジケラは残り5周でペナルティを受けるのである(この件に関して、フィジケラ自身は否定しているが、8秒も遅いタイミングでピットロードへ向かおうとしていたことは事実である)。
では、もしフィジケラがペナルティを受けるようなスロー走行をしていなかったら、どうなっていただろうか。確かにフィジケラに残り5周でピットスルー・ペナルティは出なかったかもしれない。
しかし、フィジケラがペナルティを受けるようなスロー走行をしていなければ、フィジケラはアロンソのピット作業を待たなければならず、ライコネンだけでなく、ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)の後方に下がっていたと思われる。
2回目のセーフティカー明けのレースでは、バリチェロのペースはR・シューマッハより1周につき約2秒遅かった。そして、再スタートが切られた36周目からバックストレートエンドのブレーキングでミスして、マーク・ウェバー(ウイリアムズ)らに先行を許す43周目までの7周に渡って、バリチェロは渋滞を作っていたのである。
もしこの渋滞の中にフィジケラが入っていれば、R・シューマッハが2回目のピットストップを行う47周目までに、R・シューマッハとフィジケラのギャップはピットストップ・ロスとなる22秒以上となっていただろうと考えられる。そうなっていれば、R・シューマッハはライコネンにはポジションを譲っても、フィジケラを抑えて3番手では確実にコースに復帰していたはずなのである。
フィジケラがピットスルー・ペナルティでロスした時間は約15秒。もし、ペナルティを受けるような走行をしていなくても、やはりフィジケラはバリチェロに抑えられて15秒以上はロスしていただろう。
フィジケラにペナルティがあってもなくても、R・シューマッハは上海で表彰台に上がっていたのである。