初心
2006年3月31日
マレーシアで復調の兆しを見せたパナソニック・トヨタ・レーシング。果たして、第3戦オーストラリアGPでは、どんなレースを披露してくれるのだろうか
これまで10年間、開幕戦だったオーストラリアGPを、3戦目で迎えるというのは妙な気分である。木曜日にホテルを出てサーキットへ向かうとき、危うく年間パスの引換所となっていたサーキット脇にあるホテルへ立ち寄るところだった。
それにしても、メルボルンを訪れてあらためて感じたことは、アルバートパーク・サーキットはこれまで開幕戦だったこともあり、ほかのグランプリに比べて、思い出多い地であるということだ。例えば、パナソニック・トヨタ・レーシングのデビュー戦の舞台であり、初ポイントを挙げた記念すべき地である。そのほか、昨年の大躍進もここから始まった。レース結果にはつながらなかったが、ヤルノ・トゥルーリが移籍後いきなり予選2番手を獲得したグランプリである。「あのときの決勝レースの第1スティントで見せたヤルノの走りは、一生忘れません」とは、木下美明TMG副社長のコメントである。

昨年、開幕戦でいきなり予選2番手を獲得したトゥルーリにとっても、アルバートパークは思い出深い地である
現在のほとんどのドライバーにとっても、F1でのデビュー戦がオーストラリアGPだったということが関係しているのだろうか、アルバートパークではみな一様に引き締まった表情をしているように見える。今年バーレーンでデビューしたドライバーにとっても、このアルバートパーク・サーキットはF1で走る初めての市街地コース。たまたまピットレーンを出て、ふらっとコースに出たら、コースの下見をしているスコット・スピードに出会った。「こんなに狭いとは思っていなかった」と、最終コーナー手前の縁石で一所懸命にメモを取っていた。トップドライバーの中には、下見をしない(する必要もない)者が少なくない。こんな初々しい光景を見ることができるのも、オーストラリアGPならではである。
自分はといえば、GP Diaryの開始が2002年のオーストラリアだった。正確には出発前に1回プレ版を書いているので2回目からだが、気持ちとしてはここからスタートしたようなもの。それが今年はブログ化され、5年目を迎えた。現場の雰囲気を少しでも、日本の皆さんへインターネットを通して届けようと始めたこの企画、その気持ちを再確認できる地がメルボルンである。そういえば、「F1全19戦のサーキット走行」も昨年のここから始まり、4つのサーキット(シルバーストーン、ホッケンハイムリンク、ハンガロリンク、モンツァ)を除いて、15のサーキットを走りきった。今年は忙しさにかまけて、ここまでサーキットランニングはお休みしていたのだが、1年ぶりにアルバートパークの地を踏んで、「残り15戦は走ろう」と、気持ちが引き締まった。
初心を思い出させる地、メルボルン。そんな場所をボクは大切にしたい。
次回、GP Diaryは4月1日に更新の予定です。 お楽しみに。
Bad Luck
2006年4月1日


金曜日の夜、11時半にプレスルームを出てホテルへ帰ると、窓の外から鈴虫が奏でる美しい音色が聞こえてきた。真夏のようなマレーシアGPから1週間のインターバルをおいて、1年ぶりに到着したメルボルンは、もうすっかり秋。土曜日の予選は、まさにそんな気まぐれな秋の天気に翻弄された(写真左)。
そんな中、ここまで力が出し切れなかったパナソニック・トヨタ・レーシングは、3戦目にして初めて、2人そろって予選で最終セッションへ駒を進めた。ラルフ・シューマッハが最終セッションで記録した1分26秒612は、予選全体では6番手だったが、ブリヂストン勢に限っていえば、トップ。3月20日のGP Diaryでも触れたように、マレーシアGPの決勝レースでもブリヂストン勢で2番手となるファステストラップを記録しているR・シューマッハとトヨタ。2グランプリ連続でこうした結果を出しているところを見る限り、チームが抱えていた「タイヤの発熱」に関する問題に、ひとつの目途がついたのではないかと考えられる。
そのR・シューマッハを上回る走りを予選で披露していたのが、じつはヤルノ・トゥルーリだった(写真右)。第1セッションは全体で4番手、第2セッションも早々に1分26秒台をマークして、余裕を持って最終セッションに進むはずだった。しかし、このときトゥルーリは、いくつかの不運に見舞われていた。まず2回目の赤旗中断後にコースインしたトゥルーリのリアウイングに鳥が当たり、フラップの左端がちぎれてしまった。
さらに電気系にトラブルを抱えて、5速が使えない状態となっていたのである。最終セッションで単に周回するだけなら、トゥルーリのクルマはコースインできたかもしれない。しかし、本番は予選ではなく、日曜日の決勝であり、それは307.574kmの長丁場である。チームは約5分間のインターバルで最終セッションに出走させることより、クルマをきちんと修理する道を選択。その時点で、トゥルーリの予選10位が決定した。
R・シューマッハよりも、セッティングが決まっていたトゥルーリにとっては、第2セッション終盤に起きたこの2つの出来事は、不運としか言いようがない。しかし、この不運が予選トップ10を確実にした第2セッションの終盤に降りかかったというのは、逆の見方をすれば、幸運だったのかもしれない。もし、第1セッションや第2セッションの序盤だったら、トゥルーリのスターティンググリッドはもっと後ろに下がったものになっていたし、もしもレース中に訪れていたら、リタイアとなっていたかもしれない。
トラブルが降りかかるのであれば、あのタイミングしかなかった。そして、チームは降りかかった不運をすでに取り除いているのである。トゥルーリは昨年のオーストラリアGPでも、第1スティント終盤になんらかのタイヤトラブルで、ペースダウンを余儀なくされるという不運に遭遇している。
2年越しの厄払いを、日曜日のレースで、ぜひ披露してほしい。
次回、GP Diaryは4月2日に更新の予定です。お楽しみに。
Sleep, well
2006年4月2日
「今夜はぐっすり寝られるね」
土曜日の夜、プレスルームからホテルへ帰るジャーナリスト仲間は、口々にそういって去っていった。
その理由は、メルボルンがあるビクトリア州が土曜日の深夜(正確には日曜日の明け方)の午前3時にサマータイムを終了し、時刻を1時間戻すからである。つまり、午前3時に午前2時となり、われわれメルボルン在住者は1時間よけいに睡眠がとれるのである。
例年は3月の最終日曜日にこの切り替えをおこなっているのだが、今年は例のコモンウェルス大会がその最終週まで行われていた関係で、1週間ずれたらしい。
日本にいて、日本の時間の中で生活している方には、あまり関係のない話かもしれないが、もしもあなたがCSなどでF1を生中継で見ようとしていたり、あるいはインターネットでリアルにF1の情報を収集しているファンなら、日曜日のメルボルンと日本との時差は、土曜日までの2時間ではなく、1時間であるということを肝に銘じてほしい。
それにしても、海外でサマータイムの終了時に立ち会うのは、93年のポルトガルGP以来なので、サマータイムがない日本で生活しているボクには、「サマータイムが終わる瞬間に立ち会ってみたい」という気持ちもある。ヨーロッパでは通常、夜の0時に変わるので、そんなに無理せず、その瞬間に居合わせることができるのだが、今回は午前3時だからなあ。「なんで午前3時なの?」と地元に人に尋ねたら、「0時だとまだみんな起きていて、混乱するでしょ」と言われた。確かにそうだけど、その瞬間を見たいボクにとっては、ちょっとつらい。
よく眠れるはずの土曜日の夜が、逆に寝不足になってしまうかもしれない……。

プレスルームに貼り出された「サマータイム終了のお知らせ」

今日もプレスルーム最後の人になってしまった
次回、GP Diaryは4月3日に更新の予定です。お楽しみに。
ひとつの答え
2006年4月3日
開幕戦での不振が嘘のようにアルバートパーク・サーキットで快調な走りを披露し、3位でチェッカーを受けるTF106とR・シューマッハを、スタッフが「Ralf COOL P3」のサインボードを出して迎える
「これで何が問題だったのか。ようやく見えてきました」
レース後の木下美明TMG副社長は、今年初の表彰台獲得となったラルフ・シューマッハの3位獲得を冷静に振り返った。
「開幕戦であそこまでタイヤが温まらないと、いったいその原因が何なのか全然わからなくなってしまうんですね。タイヤなのか、空力なのか、サスペンションなのか……」
特にバーレーンでは、金曜日のフリー走行でいきなり適正温度から約30℃以上もタイヤの表面温度が下回っていたため、チームもタイヤの温度を上げることに必死になった。しかし、それが裏目に出た。新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターは、次のように分析する。
「タイヤが温まりにくいという症状をウインターテストから抱えていたことは確かです。でも、それは冬のヨーロッパの路面温度が低いせいで、それよりも暖かいバーレーンへ行けば、問題は解決すると思っていました。ところが、例年よりも涼しかったとはいえ、ヨーロッパよりも暖かいバーレーンでも同じような結果となったとき、われわれは混乱してしまったんです」
そのため、チームはまずタイヤに熱を与える作業を優先した。重量配分を変えるなど、クルマをいじり回したのである。ところが、タイヤに熱がいっこうに加わらないどころか、ラップタイムも遅いまま。しかも、ほぼ同じタイヤを装着していたほかのブリヂストン勢には、そのような症状が出ていない。
「なぜ、われわればかりが、タイヤに熱を与えられないんだ!」
じつは、答えは別のところにあったのだ。チームはウインターテストで、タイヤに熱を与えることばかりに集中していたため、TF106のセットアップに関して、後手を踏んでいたのである。バーレーンでの失速は、タイヤの表面温度が低すぎたことが直接的な原因だったが、根本的な原因はセッティングが決まっていなかったためだったと推測される。そのことに気がついたチームは、テストを行えないまま向かったマレーシアGPでは、テストかと思うような積極的な走りこみを金曜日から行った。
第3ドライバーを持たない今年のパナソニック・トヨタ・レーシングは、レギュラードライバーのR・シューマッハとヤルノ・トゥルーリが限られた時間を有効に使わなければならない。そこでチームは、2人に異なるセットアップを施し、効率的に時間を使った。土曜日の予選でトゥルーリが第2セッションで落ちてしまったのは、トゥルーリが任されていたセットアップの方向性がセパンに合っていなかったからだ。しかし、そのおかげで、もうひとつのセットアップを行っていたR・シューマッハは予選でトップ10に入り、レースでも上位陣と遜色のないラップタイムを刻んで初入賞を果たし、解決の糸口は見えてきたのである。
ところが、バーレーンで失速した衝撃が大きかったチームには、例年よりも寒いオーストラリアへ行ったら、またタイヤが温まらない問題が噴出しないかという不安があった。そこでオーストラリアGPに向けて、ブリヂストンと協議の上、チームは直前のポール・リカールでの合同テストで、ヨーロッパラウンドから投入する予定だった新しいコンパウンドをテスト。さっそくオーストラリアへ投入し、予選とレースに採用するのだった。例年よりも気温が低かったにもかかわらず、新コンパウンドの表面温度はしっかりと上がってくれたため、チームは再びクルマのセッティングを煮詰めることに集中。
今度は2台そろって予選でトップ10に入り、R・シューマッハはセーフティカーが4回も導入されるという荒れた展開を見事にくぐりぬけ、3位表彰台を獲得したのである。
答えは、タイヤの表面温度を上げるための対策ではなく、クルマを速く走らせるためのセットアップにあったというわけだ。
チームにとって今季初めてとなるシャンパンファイトが行われた表彰台の下に、木下美明TMG副社長と新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターの姿はなかった。なぜなら、そのころ彼らはピットガレージのデータルームの中で、3位以上の価値あるものを手にしていたからだ。
それは問題解決のための貴重なデータと、「TF106を進化させれば、十分戦える」という自信という名のトロフィだった。
レース後、病欠の冨田務チーム代表へ3位表彰台獲得の一報を入れる木下美明TMG副社長(写真右)。最初のひとことは「タイヤは全然問題ありませんでした」だった。中央は永島勉テクニカルコーディネーション(車両)担当、そして左端は新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクター
次回、GP Diaryは4月7日に更新の予定です。お楽しみに。
置きみやげ
2006年4月7日
4回目のセーフティカーが出動されると、パナソニック・トヨタ・レーシングの車両担当テクニカルディレクターのマイク・ガスコインは、MF1のガレージへ足を運び、あることを確認した。それは、レース再開後に無用なブロックせず、フェアに走行してほしいというものだった。
3回目のセーフティカーラン解除後、3番手へポジションアップしていたラルフ・シューマッハとトヨタにとって、4回目のセーフティカーラン解除後の最大のライバルは背後にいたファン・パブロ・モントーヤ(マクラーレン)だった。モントーヤは序盤の1回目のセーフティカー解除後にR・シューマッハをオーバーテイクし、3回目のセーフティカー出動前には3番手を走行。3回目のセーフティカー導入時に、マクラーレンが2台同時にピットインさせなければならなかったために、6番手までポジションダウンしていたが、再開後はR・シューマッハ同様、ジェンソン・バトン(ホンダ)とニック・ハイドフェルト(BMWザウバー)をオーバーテイクし、自分が走っていたポジションである3番手奪取に向けて、猛烈な追い上げを見せていた。
その直後に出動した4回目のセーフティカー。このとき、R・シューマッハの前には周回遅れのクリスチャン・アルバース(MF1)がいた。さらにその2台前方にももう一台のMF1のクルマが走っていた。逆にR・シューマッハと4番手のモントーヤとの間には、周回遅れはいない。パナソニック・トヨタ・レーシングにとって、今季初表彰台獲得へ向けた最後の鍵は、4回目のセーフティカーラン解除後に、R・シューマッハがこれら周回遅れをいかにパスしていくかだった。
そこでガスコインはMF1のガレージへ、次のようなことを確認に行くのである。
「君たちは周回遅れである。わかっていると思うが、レース再開後、われわれとポジション争いする権利はないからな」
41周目に再開されたレースで、R・シューマッハはすぐさまアルバースのスリップストリームに入ると、1コーナーでアルバースのインに入り、ポジションをキープ。さらにその直後の3コーナーでも、ティアゴ・モンテイロ(MF1)をイン側から豪快にオーバーテイクしていき、モントーヤの追撃をかわした。
R・シューマッハがシャンパンファイトしている頃、表彰台の下ではパナソニック・トヨタ・レーシングのスタッフたちが「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」の大合唱を繰り返していた。4月2日は、ガスコインの43回目の誕生日だったのである。
それから4日後、チームはガスコインの今季限りのチーム離脱を発表した。R・シューマッハの今季初表彰台を、縁の下でアシストしたガスコイン。6回目の表彰台を置きみやげに、潔く現場を去っていった。
次回、GP Diaryは4月21日に更新の予定です。お楽しみに。
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2006年第3戦オーストラリアGPより、スペシャルなプレゼントをお届け!
みなさま、お待たせいたしました。今年もf1.panasonic.comがお届けするスペシャル・プレゼントが、始まります。06年シーズン第1弾は、我らがパナソニック・トヨタ・レーシングが今年初めての表彰台を獲得したアルバートパーク・サーキットでゲットしてきた逸品の数々です!
応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。