締め括り
2006年10月20日
時が経つのは早いものである。3月に始まった2006年シーズンもいよいよ最終戦。第18戦ブラジルGPを残すだけとなった。
昨年、表彰台の常連となり、コンストラクターズ選手権4位の座を射止めたパナソニック・トヨタ・レーシング。飛躍の年となるはずだった今年、しかし、表彰台に上がったのはオーストラリアGPの1回だけ。使用するタイヤメーカー変更に伴う経験不足。V8化に対応した空力の見直し。思わぬ信頼性の欠如。原因がどうであれ、決して満足のいく行くシーズンでなかったことは確かである。
不調に終わったシーズンとして思い出されるのが、2004年である。開幕戦で屈辱のラップ遅れとなった2台のTF104は、シーズン途中にTF104Bに進化したものの、浮上することはなかった。しかし、今年はその2004年と同じではない。それはコンストラクターズ選手権の順位(今年は現在6位、04年は8位)やポイント(今年は現在35点、04年は9点)を指しているのではない。スピードが違うのである。
例えば、2列目を独占した今年の日本GP予選。ほぼ空タンク状態で行われた第2セッションで、トヨタの2人はルノーより速く、フェラーリのフェリペ・マッサともコンマ4秒差だった。2年前の鈴鹿は台風の影響で日曜日にレーススタート時の燃料を搭載した上でアタックが行われたが、ヤルノの1分35秒213は、トップのフェラーリ(M・シューマッハ)から1.7秒落ち、2番手のウイリアムズ(R・シューマッハ)からも1.2秒落ちだった。
「確かに苦しんだシーズンでした。でも一昨年に比べて、今年はシーズン中にクルマを進化させることができたと思います。残念ながら信頼性の問題などで結果に結びつけられませんでしたが、クルマの開発の方向性は大きく間違っているとは思いません。だから最終戦では、コンストラクターズ選手権で1点差に迫っている5位のBMWザウバーを逆転したいのですが、それだけを考えてレースを行うのではなく、今年一度も見せることができなかった自分たちの力を、きちんと披露したいと思っています」(新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクター)
鈴鹿で6位(写真左/ヤルノ)と7位に終わった最終型のTF106B。今季最終戦となったインテルラゴスで真価を見せてほしい(写真右/初日のインテルラゴスは時折陽光が差す曇り空の下でフリー走行が開始された)。
次回、GP Diaryは10月21日に更新の予定です。
お楽しみに。
最低気温
2006年10月21日
「寒い寒い」と思いながら昨年のブラジルGPのレポートを読んでいたら、同じようなことを書いていた。「寒い」という表現は、かなり主観的である。といって、「今年のブラジルGP予選直前のインテルラゴスの気温は20℃」といっても、ピンにと来ない。そこで、今年これまでの17戦と比べてみた。
「寒かったなあ」と感じたグランプリを思い起こしてみると、まずパナソニック・トヨタ・レーシングが冷え性に悩まされた開幕戦バーレーンGPである。そのバーレーンでも、予選時は23℃あった。続いてニュルブルクリンクで行われたヨーロッパGPも寒かったなあと思い、予選直前の気温を調べてみたら、こちらも21℃。1℃ではあるが、10月のブラジルよりも春先のドイツのほうが暖かかったわけだ。イギリスは29℃もあり、ちょっと涼しかったモントリオールも土曜日は26℃。冷夏だったハンガリーGPも予選前は23℃あったし、雨の予選となった中国も23℃。秋の鈴鹿は24℃。
予選開始時の気温で、20℃のブラジルGPを下回ったグランプリは、唯一オーストラリアGPの19℃だけだった。それは、寒く感じるわけである。そのブラジルでパナソニック・トヨタ・レーシングは、初日ヤルノがレギュラードライバー陣でトップとなる好タイムを記録(写真)。ラルフもレギュラードライバー陣では4番手のタイムをマークした。ただし、これはニュータイヤを履いたタイミングがパナソニック・トヨタ・レーシングに味方していたともいえるし、そのタイヤを予選とレースで使用するかは未定だ。
いずれにしても寒いブラジルで、パナソニック・トヨタ・レーシングは熱い戦いを繰り広げている。同じようなことを、昨年も書いていたような……。
次回、GP Diaryは10月22日に更新の予定です。
お楽しみに。
信頼
2006年10月22日
表彰台を逃した日本GPの決勝レース直後、終盤失速したヤルノに対して、厳しい意見がプレスルーム内であったことは確かである。
「あのときヤルノは明らかに遅かったんだから、チームメートに進路を譲るべきだ」と。
この意見に対して、あるチーム関係者は次のように反論した。
「確かにあのとき、ヤルノは苦しんでいました。しかし、それをすべてドライバーのせいにすることはフェアではありません。なぜならクルマにも問題がなかったわけではないのですから。ヤルノは充分に速いドライバーです。そうでなければ、われわれはヤルノと2009年まで契約を3年延長していません。彼の予選アタックは、本当に惚れ惚れするようなスピードを見せてくれます」
こんなウワサもあった。「じつは日本GPで、チームはヤルノに無線で進路を譲るよう指示を出していたが、それをヤルノが無視した」と。しかし、そのウワサを冨田務チーム代表もきっぱりと否定した。
「そんな指示を出すなんて、あり得ない。第一、早すぎます。優勝争いをしているのならともかく、3位とか4位というレベルでそんなことを行っても意味がない。そんなことを行う前に、われわれはクルマを速くすることに集中すべきなんです」
ブラジルGP公式予選。チームは最終型に進化したTF106Bを、バンピーなインテルラゴスの路面に合わせるため、午前中はユーズドタイヤでセットアップに集中。フロントのバネレートを変更したり、センターエレメントを調整して車高を変えながら、ベストなセッティングをトライしていた。ライバル勢がセッション終了間際にニュータイヤを履いて、自己ベストを更新していく中、チームはTF106Bのセットアップ作業をしっかりとこなす(写真右)。
迎えた公式予選。チームの信頼を背負ったヤルノも、その期待に応えるアタックを連発。今回の予選でパナソニック・トヨタ・レーシングは、2人のドライバーに2周連続アタック作戦を採らせていたが、第2セッションからは、ヤルノは1発でベストタイムを出すようになった。そして、それが今回チームメートを上回る成績を挙げた理由でもあった。
「われわれはヤルノと、『チャンピオンを獲ろう』と約束しました」。これは、木下美明TMG副社長がフランスGPで契約を延長した際に語ったコメントである。ブラジルGP予選でのヤルノのアタックは、そんな思いを叶えてくれそうな素晴らしい走りだった(写真左/予選後、イタリアのメディアに囲まれるヤルノ)。
次回、GP Diaryは10月23日に更新の予定です。
お楽しみに。
「We never give up!!」
2006年10月23日
「クルマの仕上がりはとても良かった。だから、スタート直後から、ボクはライコネンにアタックを仕掛けていたんだ。そしてセーフティカーが入って、しばらくしてからレースが再開。その直後だった、トラブルが起きたのは。リアサスペンションのセンターエレメントが壊れた。そう、インディアナポリスと同じトラブルだね。そりゃ、ガッカリだよ。だって戦略的にボクたちはマクラーレンをかわせるはずだったんだから。つまり今日ボクは2位、悪くとも3位で最終戦を締めくくることができたと思うからね」(写真右/10周目にピットインしてリタイアしたヤルノ)
レース後、ヤルノはわずか10周で終わった最終戦を述懐してくれた。
この言葉が嘘でなかったことは、同じブリヂストンタイヤを履くフェラーリの快走を見てもわかる。しかも今回パナソニック・トヨタ・レーシングは、フェラーリとは異なるスペックを選択。フロントタイヤに新コンストラクションを投入していた。この新コンストラクションは、中国GP前のシルバーストーン・テストでも試されたが、そのときはまだ実戦投入には不十分と判断し、日本GP後のテストでモディファイされたものを再度テストする予定になっていた。フロントタイヤのグレイニング(めくれ摩耗)を軽減する特性を持つ新コンストラクションを選択したパナソニック・トヨタ・レーシングの2人は、金曜日の低温時からグレイニングに悩まされることなく、安定したタイムを記録。タイヤのウォームアップ性に悩まされていたが、それも予選アタック中に解決し、ヤルノは3番手、ラルフも7番手を獲得した。
前戦日本GPでは、最終スティントで予期せぬグレイニングに悩まされ、表彰台を逃したヤルノ。日曜日のレースは、グレイニングに強い新コンストラクションの真価を発揮し、鈴鹿での汚名を返上する絶好のチャンスだった(写真左/レース直前のドライバーズパレードでのヤルノ)。だから、この日のヤルノの悔しさは、ブラジルGPだけでなく、日本GPの表彰台を逃した無念も引きずっていた。レース直後だというのに、珍しくサングラスをして各国のテレビ局からのインタビューに答えていたヤルノ。おそらく、涙を流していたのではないかと思う。それほどこの日のリタイアは、彼にとって悔しかったのである。
インタビューを受けているヤルノの周りにいたメカニックたちも、泣いていた。インタビューを終えたヤルノは、そのメカニックたちを抱きしめ、こう言った。
「We never give up!!」
この悔しさを来年に繋げてほしい。
次回、GP Diaryは10月27日に更新の予定です。
お楽しみに。
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2006年最終戦の地サンパウロから、“情熱的”なプレゼントを!
さまざまな思いが去来する中で行われた2006年最終戦ブラジルGP。今年最後の現地調達プレゼントは、これだ!
応募は締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。
“I did it my way”
2006年10月27日
ひとつの時代の幕が下ろされた。10月22日のインテルラゴスは、2006年シーズンの最終戦というだけでなく、16年間に渡ってF1をリードし続けた男の、最後のレースデーとなった。皇帝ミハエル・シューマッハの引退レースである。
スタート直前のダミーグリッドは、皇帝の最後の姿を見届けようと、普段はプレスルームから出ないジャーナリストたちも押し寄せたため、それはすごい人だかり。その中には、フランス・パリから急きょ駆けつけたミカ・ハッキネンの姿もあった。ハッキネンと親しいジャーナリストが土曜日に聞いたところによれば、今回の来訪はハッキネンの切なる願いだったという。
「引退して数年が経ち、いま私はミハエルがどんな気持ちで最後のレースに臨もうとしているのか、とてもよくわかるんだ。これだけ長い間、トップの座に君臨していたんだ。もう充分だと思ってもしかたがないだろう。そして、そのような気持ちを少しでも持ち始めたら、私は引退すべきだと思う。たとえ、いま彼がそう思っていなくとも、『この先もずっとそういう気持ちを保ち続けることができるだろうか』という疑問を持ったなら、やはり引退すべきだろう。少なくとも、私はあのとき(2001年いっぱい)引退して良かったと思う。勝利へ向かう気持ちが100%維持できなくなったんだからね」
現役時代は無口だったハッキネン。事実上F1から引退した2001年から5年という月日が経ち、インテルラゴスでのハッキネンはプレッシャーから解放されていたせいか、饒舌だったという。それは、日曜日のダミーグリッド上でも同じだった。M・シューマッハがスタート前のトイレ休憩から帰ってくるまでの間、ボクがハッキネンにM・シューマッハとの思い出を尋ねると、彼は喜んでこう語ってくれた。
「98年、99年、そして2000年。この3年間のM・シューマッハとのバトルは壮絶だった。特に2000年のスパのサイド・バイ・サイド。あれは本当に手に汗握るバトルだった。もちろん、鈴鹿での攻防も忘れられない。ミハエルとの思い出は本当にいっぱいあるよ」
その直後にM・シューマッハがダミーグリッド上に戻ってくると、ハッキネンの元に駆け寄る。特に何を話すわけでもなく、懐かしそうに肩をたたき合う2人。M・シューマッハも、イタリアGPでの引退会見で、「これまでで最高のバトルは?」という質問に、「2000年のミカとの攻防」と答えている。おそらく、2人はこのとき、心と心で会話していたのだと思う。「いいレース人生だった。ありがとう」と。
それからM・シューマッハは、おそらく自分の中に残っていたレーシング魂の炎を燃えつかせようとしているかのように、71周のレースを順位とは関係なく、100%の力で走りまくっていた。そしてチェッカーフラッグを受けると、これまでのレースで見せていた派手なポーズではなく、いままで見せたことがないようなさわやかな笑顔をパルクフェルメで披露し、ドイツメディアに対する引退会見へ臨んだ。これまでM・シューマッハとドイツメディアの間には、ピリピリとした雰囲気があったというが、会見は終始和やかに行われたという。M・シューマッハがこれまでドイツメディアに対してとっていた冷たい態度を詫びたとも聞く。いずれにしても、会見に臨んだその姿は、皇帝として君臨していた厳しさはなく、37歳のひとりのドイツ人だったという。
「あのとき、ああしていればと考えないわけでもない。でも、おおむねよくやってきたと思う。だから、悔いはない。できれば表彰台で最後を終えたかったけど、しょうがない。これもレース。今後のこと? 本当にまだどうするのか、答えられないんだ。ただひとつ言えることは、来年の開幕戦のグリッドに僕はいない。たぶん子供と遊んでいるか、テレビでも観ているよ。とにかく、この16年間は、本当に充実していたよ」と言い、フランク・シナトラの名曲を引き合いに出して、「I did it my way」と16年間を締めくくった。
インテルラゴスでの引退レース。250戦目となった最後のレースは、彼のベストレースともいえる素晴らしい走りだったと思う。本当にお疲れさまでした。
M・シューマッハのダミーグリッドに駆けつけた元ワールドチャンピオンのハッキネン。ともに「ベストライバル」と認め合う仲である
序盤にパンクしてタイヤ交換を済ませてピットアウトするM・シューマッハを、ガッツポーズで送り出すマーシャル。マッサ一色のスタンドも大いに沸き上がった瞬間だった
次回は11月10日(金)に更新の予定です。
お楽しみに!