鬼門
2007年4月13日

2週連続の開催にもかかわらず、今回もロールフープウイングに改良を施してきたパナソニック・トヨタ・レーシング。「いいものが見つかれば、どんどん投入していきます」(新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクター)

5時間の時差があるマレーシアとバーレーン。サーキットをジョギングして体調管理をするヤルノ
なんとなく、嫌な予感がしていたら、やっぱり的中した。マレーシアGPの後、2日間セパンに滞在して原稿を書いていたボクは、水曜日に予定通りマレーシア航空でバンコクへ飛び、そこからガルフ航空に乗り換えて、バーレーンへ向かうはずだった。ところが、クアラルンプール国際航空のC36番ゲートを離れたMH782便は、滑走路へ向かう誘導路で急ブレーキ。再びゲートへ戻ってしまった。そして、機内で待つこと1時間。ようやく機長からアナウンスがあった。
「皆さん、メカニカルトラブルが発生したので、バンコク行きは機材を変更します。とりあえず、手荷物をすべて持って飛行機を降り、地上係員の指示に従ってください」
バンコクでの乗り継ぎ時間は、約2時間。すでに機内で1時間経過しており、交換した飛行機の出発時間は荷物の出し入れなどの関係もあってか、さらに1時間後に設定されていた。つまり、このままだと変更した機材がバンコクに着いたとき、ガルフ航空は出発してしまう計算だった。
なんとなく嫌な予感がしていたのは、ボクがバーレーンとは、あまり相性が良くなかったからだ。1年目に泊まったホテルは、連日夜中に「コン、コン」と見知らぬ女性がノックしてきて、寝不足。それが嫌で2年目に泊まった別のホテルは夜中に「ハロー、ミスター・オワリ」と、またもや知らない女性が内線をかけてくる始末(ホテルのスタッフがツルんでいたんですね)。3年目の昨年泊まったホテルは、女性からの電話はなかったものの、ホテル内にディスコがあり、夜中の2時までドンチャン騒ぎしていて、やっぱり眠れなかった。
というわけで、今年泊まるホテルは事前に下見をし、昨年の7月に予約を入れておいた。さらに今年2月のバーレーン・テストに行くときにも、宿泊はそのホテルにする念の入れよう。ところが2月に宿泊したときは、なかなかホテルの部屋からインターネットが接続できず、アクセスポイントを海外にして通信をし、3日間で3万円も電話代を請求されてしまった。
さらにそのときは、帰りに飛行場のレンタカー会社にクルマを返そうとしたら、間違って一般の駐車場へ。通常は入口のゲートでボタンを押してチケットを引き抜かなければならないゲートが、なぜか開いていたので入ってしまい、出口のゲートで係員に「レンタカー会社へ行こうとしたら、間違って入っちゃっただけです」と頼んでも、「どうしてチケットがないのに入れたんだ。早くチケットを出せ」と、タダで駐車場から出ようとする不届き者と勘違いされ、駐車場から出るに出られず、レンタカー会社のスタッフへ携帯で電話して引き取りに来てもらった苦い思い出がある。
そして今回の出発遅延である。だから、機長のアナウンスを聞いたときは、正直「バンコクで1泊し、サーキット入りは1日遅れること」を覚悟した。
ところが、同じ便にはグランプリ関係者が30人ほど乗っていた。しかもガルフ航空のファーストクラス12名のうち9名がその便に乗り合わせていたこともあってか、ガルフ航空はバンコクでボクたちの到着を待ってくれていた(実際にはバンコク発のガルフ航空も約30分搭乗が遅れていたらしい)。バンコクに到着したボクたちはトランシーバーを持った地上係員に先導されながら、出発ゲートへ。結局、約1時間遅れで出発することができた。
バーレーンといえば、パナソニック・トヨタ・レーシングも昨年のレースでは、痛い目に遭っている。さらに2月の合同テストでも連日トラブルが起き、開幕へ向けて「最悪の状態」(あるチーム関係者)だった場所だ。ぜひ今回、ここで悪い流れを断ち切ってほしい。
次回、GP Diaryは4月14日に更新の予定です。
お楽しみに。
【編集部からのお知らせ】これまでみなさんにお楽しみいただいておりました、グランプリごとの現地プレゼントですが、終了させていただくことになりました。このプレゼントにつきましては、毎回、尾張氏が調達しておりましたが、今後はいままで以上に取材に専念していただき、みなさんに、よりホットな情報をお届けしたいと思っております。また、みなさんへのプレゼントと致しましては、9月に開催される富士スピードウェイでの日本GPに向け、例年以上にパワーアップした、みなさんの期待に答えられるような企画を検討中です。どうぞ、楽しみにお待ちください。それでは今後ともf1.panasonic.comと尾張正博のDiaryをよろしくお願いいたします。
2カ月前
2007年4月14日

1年で2回、いや2カ月の間に2回、同じグランプリサーキットを訪れるというのは、なんとなく妙な気分である。そして、それが通常ウインターテストの舞台となるスペインではなく、中東のバーレーンだと、なおさら強く感じる。
昨日のDiaryでも書いたように、ボクは2月下旬に開幕直前の合同テスト取材のため、今年すでにバーレーンを訪れている。約500席あるプレスルームに対し、そのとき取材に来たメディアは20名ほど。そのガランとしてプレスルームで、ボクはモニターにリアルタイムで表示されるラップタイムを、ひたすら自分のパソコンに打ち込んでいた。なぜなら今年からテストでは、各ドライバーのベストタイムを並べた各日のリザルトは配布されるもの、昨年までのように全ラップタイムをプリントアウトして配布するサービスが廃止されたからである。タイヤがワンメイクになって、年間300セット規制が加わった今年のF1テストは、ほとんどがロングラン中心。ベストタイムからだけでは、本当の力関係は読めない。
事前に用意しておいた表組に、コントロールラインを通過していったドライバーのラップタイムを打ち込んでいく作業は、想像していたよりも大変で、だれかがスピンしたり、エンジンブロウしてコース上に止まったりして、赤旗が出ない限りトイレにも行けないほど忙しかった。
そのテストで苦しんでいたのが、パナソニック・トヨタ・レーシングだった。まだ肌寒い西風が吹くバーレーン・インターナショナル・サーキットで、TF107はナーバスな挙動を示して、セットアップがなかなか進まなかった。多くのクルマが1分32秒台から1分33秒台でロングランをしているころ、パナソニック・トヨタ・レーシングの2台は1分34秒台から1分35秒台でラップタイムが推移していた。トップチームの中には1分31秒台を連発していたところもあったから、3秒から4秒も遅いペースだったわけである。
その後、チームは開幕直前にヘレスで行ったプライベートテストでセットアップの方向性が定まり、オーストラリアGPとマレーシアGPで、その方向性が大きく間違っていなかったことを証明。不安と期待が入り交じる中、バーレーン・インターナショナル・サーキットに乗り込んできた。
初日、フリー走行1回目。ヤルノはいきなり5番手となる1分34秒896をマークした。前夜雷雨に見舞われ、ダスティな路面コンディションだったにもかかわらず、合同テスト初日の2月27日に自らが記録した1分33秒150から、わずか1.5秒落ち。トップチームが2~3秒落ちだったことを考えれば、上々の出だしである。
「路面は埃が多く、滑りやすい状況で、また風も午前・午後で強さ・風向きともに変わるという、エンジニアにとっては気を遣う状況だった。この中で、午前の走り初めからヤルノはTF107のバランスをうまく取り、順調に今日のセッションを進めることができた。2月のバーレーンでのテストに比べれば、確実に進歩していると実感している」
2カ月前にこのプレスルームでパソコンを叩いていたラップタイムが夢のように感じるほど、バーレーンGPでのパナソニック・トヨタ・レーシングは、滑る路面の上で確実に前進していた。
次回、GP Diaryは4月15日に更新の予定です。
お楽しみに。
GP2開幕
2007年4月15日
バーレーンが開幕戦の舞台となった2006年のF1。あれから約1年。このバーレーンGPで開幕戦が行われた。それはF1への登竜門といわれているGP2シリーズである。
2年前にスタートしたGP2シリーズは、初年度にニコ・ロズベルグをチャンピオンとして輩出。昨年のチャンピオン、ルイス・ハミルトンは今年昇格したばかりのF1で、開幕から2戦連続で表彰台を獲得。このバーレーンGPで表彰台に上がれば、ルーキーとして史上初の開幕から3戦連続での表彰台獲得となる。
その注目のシリーズに、今年は3人の日本人ドライバーが参戦する。そのうち、2人がTDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)の中嶋一貴と平手晃平である(写真上:左が中嶋で右が平手)。中嶋は以前のDiaryでも触れたように、日本人として初めてF1のフル参戦ドライバーとして活躍した中嶋悟さんの長男で、今年ウイリアムズのテストドライバーとしても活躍している22歳である(写真下右)。
その中嶋が初めてフォーミュラートヨタレーシングスクールを受講し、最終選考でスカラシップを逃した2001年に、合格したのが1歳年下である平手だった(写真下左)。現在のTDP日本人ドライバー三羽ガラスの中で、いち早くヨーロッパへ渡った平手は、2004年にフォーミュラ・ルノー・イタリア選手権で6勝を挙げながら、最終戦で惜しくもタイトル獲得を逃すという印象的な速さを披露。昨年のユーロF3シリーズでは、ランキング3位と中嶋、小林可夢偉を抑え、日本人トップで選手権を終えた。
「中嶋選手のウイリアムズでの活躍は、いい刺激になります。一緒に戦っているドライバーがF1の世界でどれくらい活躍できるのか、わかりますからね。でも、僕は彼に先を越されたとは思っていません。彼は自分に巡ってきたチャンスをうまく自分のものにした。ただ、それだけです。だれが速いかは、去年のユーロF3を見れば、わかるはず。今年はトップ6を狙いたい」
そうバーレーンの木曜日に語っていた平手は、金曜日の予選で6番手を獲得。レース1ではスタートでストールしてしまい、ピットスタートを余儀なくされて18番手に終わるが、レース中盤はファステストラップを叩き出す速さを見せた。そして、その平手と同様、やり直しとなったスタートでストールした中嶋もまた、レース終盤にファステストラップ連発。17位に終わるが、ファステストラップ記録者として1ポイントを獲得した。
F1を目指した戦いは、まだ始まったばかりである。
次回、GP Diaryは4月16日に更新の予定です。
お楽しみに。
熱走
2007年4月16日
「まるで優勝したかのような気分だ」
レース終盤、ルノーのジャンカルロ・フィジケラの猛追を凌ぎきって、57周を戦い終えたヤルノは、そう言って汗をかいたペットボトルのキャップを開け、ミネラルウォーターを口にした。
2カ月前のバーレーン・テストで、風に悩まされたパナソニック・トヨタ・レーシングは、今回のバーレーンGPではその点に留意してセットアップ作業を進めた。その結果、ヤルノは予選で9番手を獲得。ほぼ全車が空タンクで行ったと思われる予選第2ピリオドでは、フェラーリ、マクラーレン、BMWザウバー勢に次ぐ7番手のスピードを見せていた。
しかし、これは1周のラップタイムでの比較。予選ではストレートスピードも重要だが、コーナーをいかに速く走るかがポイントとなる。予選でアンダーステア気味だったヤルノは、無線を通して何度か「フロントウイングのフラップを挙げてくれ」と頼んでいた。さらにグランプリ期間中のサーキットは連日、砂塵が舞い、週末を通してグリップレベルが低かった。そのためパナソニック・トヨタ・レーシングは2種類持ち込んできたリアウイングの中から、ダウンフォースの強い方を選択。しっかりとダウンフォースをつけて、まずは2カ月前のトラウマから脱却しようとしたのである。
そして、それは予選まではうまく機能した。しかし集団で走るレースでは、様相が一変する。前車のスリップストリームを利用してオーバーテイクする機会の多いモータースポーツでは、レースではストレートスピードが重要となるからだ。したがって、予選重視でストレートスピードを犠牲にしたヤルノのクルマは一転、決勝レースでは苦戦を強いられるのである。


スタート直後、4コーナーで見ていたボクは、ウイリアムズ勢2台に迫られるヤルノを何度も見ることとなった。しかし、ヤルノはベテランらしい冷静なドライビングでウイリアムズ勢のアタックを封じ込めた(写真上左)。直線スピードに劣るものの、コーナーでは自分の方が有利と判断したヤルノは、ストレートに入る前のコーナーの脱出でしっかりとトラクションをかけ、ストレートエンドではブレーキングを遅らせるのである。ストレートが速いクルマは、同時にブレーキング時の安定性に乏しいという弱点があることをヤルノは見抜いていたのである。
ウイリアムズの猛攻をかわしたヤルノが、その後ルノー勢を相次いで10コーナーで差したのも、ブレーキングが安定していた証拠である。しかし集団の先頭に立ったヤルノは、今度は風をまともに受けて、ストレートスピードが伸びず、逆転したフィジケラに追いつかれてしまう。オーバーテイクを考慮してヘルマン・ティルケが設計したバーレーン・インターナショナル・サーキットには、2カ所のオーバーテイク・ポイントがある。1コーナーと4コーナーだ。しかし、ヤルノは慌てなかった。ミラーでブレーキングでフラつくフィジケラの動きを確認し、オーバーテイク・ポイントではブレーキングでインをしっかりブロック。フィジケラにオーバーテイクする隙を与えなかったのである(写真上右)。
昨年のチャンピオンチームであるルノーを抑えての7位。苦手だったバーレーンで、日曜日にヤルノが見せた熱いファイトは、トップ3に次ぐ4番目のチームの座を得るに相応しい見事な走りであった。

次回、GP Diaryは4月20日に更新の予定です。
お楽しみに。
表情
2007年4月20日
この業界で仕事を始める前、F1のテレビ中継を観戦していて、もっとも興味を持って見たのは、レース後の記者会見だった。たしか90年代前半だったと思うが、ロビン・ザンダーの「In this country」の曲とともに、優勝したドライバーと2位のドライバーがそれぞれレースを振り返ってコメントしているシーンは、いまも記憶に残っている。ヘルメットをかぶって行うモータースポーツは、ドライバーがどんな表情で戦っているのかわからない。だから、ヘルメットを取った後の記者会見で見るしかない。
あれから20年以上が経った。いまでもボクは、レース直後のドライバーの表情を見たり、彼らが発するコメントを聞くのが好きだ。だから、トップ3の記者会見が終わるとボクはすぐにプレスルームを出て、パドックへ向かう。すると、レースを終え、車検室で体重を測定してきたばかりのドライバーたちと、あちこちで出くわすことになる。ドライバーたちばかりではない。各チームの様子もうかがい知ることができる。その表情や雰囲気は、時としてチームから配られるリリースよりも、雄弁なときがある。今回、BMWザウバーのガレージ裏は、まるで優勝したかのような盛り上がりだった。そして、そのBMWザウバーにコース上でオーバーテイクされたアロンソが、足早にチームホスピタリティルームに消えていく姿は印象的だった。
パナソニック・トヨタ・レーシングのガレージ裏はというと、少し複雑な雰囲気だった。7位に入賞したヤルノの走りは、前回のDiaryでも書いたように、チームに大きな勇気を与えてくれたことは確かである。
「われわれはトップ3に次ぐポジションにいなければならないという強い思いがありました。マレーシアでは結果を残すことができませんでしたから、今回そのポジションを得られたことは良かった。しかも、2カ月前のバーレーン合同テストで、われわれは最悪の状態だったので、ここが17戦で一番悪いグランプリになっていても不思議ではなかった。ほっとしています」(木下美明TMG副社長)
だからといって、手放しで喜ぶことができない雰囲気であったことも確かである。
「最後、ルノーに追いまくられましたからねえ。ストレートスピードが出ない状態で、よく抑え込んだと思います。今日はヤルノに助けられました。それと、われわれのクルマがまだ本来のポテンシャルを出しきれていないという状況で戦っていることは、ラルフを見ればわかります。彼はバーレーンで満足に走ることができなかった。つまり、まだクルマはスイートスポットから外れた状態にあるわけです」(木下TMG副社長)
レース直後、ガレージに戻ってきたヤルノは、喜ぶスタッフたちに「もっとクルマを改善しなくちゃダメだ」と、檄を飛ばしていた(写真)。そして、12位に終わったラルフが、担当レースエンジニアとかなり真剣にミーティングする光景も見られた。
4月下旬のバルセロナ合同テストでは、空力パッケージがアップデートされるTF107。スペインGPのレース後に、ラルフとヤルノがどんな表情を見せるのか、4週間後が楽しみである。
次回、GP Diaryは5月11日に更新の予定です。
お楽しみに。