f1.panasonic.com

Rd.05 モナコGP

  • Diary by 尾張正博
  • Results
  • Gallery
  • 尾張正博のプロフィールを見る
  • 2007年 尾張正博 使用カメラ

モナコマイスター

2007年5月24日

スペインGPを欠席していたプレス仲間に、モナコのプレスルームで出会った。バーレーンGP以来、約1カ月ぶりだったので、世間話に花が咲いた。しばらくすると、懐かしいものがボクの目に入ってきた。それは、彼がはめていた腕時計である。その時計はいまから14年前に、あるタバコメーカーがモナコGPで催したパーティで配ったおみやげ品だった。ボクもその時計を持っていたが、ずいぶん昔に動かなくなって捨ててしまった。「まだ動いているなんて、すごいね」と言うと、彼は「これも何度か止まったけど、修理して使い続けているんだ」と言って、左腕を誇らしげに上げて見せた。ボクも比較的モノは大切にするほうだが、ヨーロッパの人たちには本当に頭が下がる。

今年で65回目を迎えるモナコGPは、そんなヨーロッパの人々によって大切にされてきた伝統のグランプリである。第65回といっても、初開催は65年前ではない。世界大戦などの影響もあって、第1回モナコGPが開催されたのは1929年。じつに78年前のことである。しかも、当時は100周で争われていた。その100周のレースで、3勝を挙げているのが初代モナコ・マイスターのグラハム・ヒルである。ヒルは68年と69年にも80周のレースを連覇し、通算5勝を挙げて75年に不慮の飛行機事故でこの世を去った。

このヒルの記録を破ったのが、アイルトン・セナだ。87年に初優勝を挙げたセナは、89年から93年まで破竹の5連勝を遂げて、モナコGP通算6勝として単独となった。その勝利の中には、伝説のレースといわれている92年のナイジェル・マンセルとの死闘も含まれており、記録だけでなく、記憶にも残る勝利を数多くモナコで挙げた。ボクはそのセナの最後のモナコでの勝利を見たが、表彰式でトロフィーを掲げる彼の指がテーピングテープでいっぱいだったことを覚えている。1周で何十回ものシフトチェンジを強いられるモナコの78周のレース。ドライバーズサーキットと言われる所以がそこにある。

そして、セナの記録を破ることはできなかったが、ヒルに並んで通算5勝を挙げて昨年引退したミハエル・シューマッハも、マイスターという称号で呼ばれたドライバーだった。96年のフォーメーションラップ中の事故や昨年の予選での停止など、マイスターらしからぬミスも少なくなかったが、彼の94年の走りはいまも忘れることはできない。前のグランプリでローランド・ラッツェンバーガーとセナを失い、さらにメルセデス・ジュニアチーム時代のチームメートだったカール・ヴェンドリンガーがモナコGP初日に大クラッシュ。一時はレース中止も検討されるという異様な雰囲気でスタートしたレースで、M・シューマッハが見せた高い集中力を、いまでもボクは忘れることができない。

マイスター不在でスタートする65回目のモナコGP。新しいマイスターの登場に期待したい。

次回、GP Diaryは5月26日に更新の予定です。
お楽しみに。

雨のモナコ

2007年5月26日

「週末のモナコの天候はおおむね良いのですが、唯一土曜日だけが下り坂で、雨に見舞われるかもしれません」。モナコGPが始まる前日、恒例の囲み取材に出席した新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターは、最後に持参したファイルブックを開いて、週末の天気予報を教えてくれた。現在ではほとんどのチームが専属の気象予報会社と契約して、分単位の天気予報を入手している。

金曜日、夜11時ごろにプレスルームを出て、モナコの隣町キャップ・ダイルのピッツェリアのテラスで遅い夕食を採っていたら、空からポツポツと雨が。しかし、その雨もすぐに上がった。「なーんだ、ハズレか」と思いつつ就寝。翌朝のモナコは果たして、雨となったのである。パナソニック・トヨタ・レーシングが契約を結んでいるのは、ドイツのベルリンメテオという会社。恐るべし、的中率である。

雨のモナコといえば、96年にオリビエ・パニスの初優勝や、97年のウイリアムズ勢のまさかのスリックタイヤスタートなど、あっと驚くレースが思い出される。その中でももっとも驚くべきレース展開となったのが、いまから13年前、84年のレースだった。その年のモナコは土砂降りの雨の中でレースが行われ、途中(31周)で赤旗中止。ガードレールに囲まれているモナコはただでさえ危険なサーキットだが、雨が降るとその危険度はピークに達する。例えば、モナコには名物のトンネルがあるが、84年のレースでは、レース前に放水車が出動して、トンネル内を人工的にウエット状態にして、スタートが切られたというエピソードがある。ウエットタイヤを履いて走行していたら、突然ドライ路面が目の前に現れる。そんなサーキットは、モナコだけである。

ウエットコンディションでは、ドライ路面もまた危険となるモナコ。過酷な、最高のサーキットである。

次回、GP Diaryは5月27日に更新の予定です。
お楽しみに。

Prediction

2007年5月27日

モナコの路面は、17戦中もっとも週末での変化が大きい。例えば、それは雨が降った後に行われた土曜日の予選タイムにも表れている。今年のモナコの予選は午前中に雨が降り、全車ウエットタイヤを履いて走行する完全なウエットコンディションだった。そのため、木曜日のフリー走行で路面に付着したタイヤラバーが洗い流され、午後の公式予選はいわゆるグリーンな状態でスタートした。

しかし、予選第1ピリオドで、路面コンディションは急激に回復していくのである。というのもルイス・ハミルトン(マクラーレン)が叩き出したトップタイムは、1分15秒台に突入する速さ。木曜日、多くのクルマが午前と午後にそれぞれ90分ずつ走行した中で、最後にフェルナンド・アロンソ(マクラーレン)がマークした初日のトップタイム1分15秒940を上回るスピードを見せたのである。

これだけ路面が変化する理由は、モナコには毎年1年でもっとも軟らかいコンパウンドのタイヤが投入されることが関係している。今年も4種類の中から軟らかいほうの2種類、スーパーソフトとソフトが持ち込まれている。もうひとつの理由は、モナコの路面のミュー(摩擦係数)が低いことも挙げられる。いわゆる、ツルツルの路面なのである。通常のサーキットでは、アスファルトの表面には小さなデコボコがあるため、その間にラバーが入り込むため、路面の変化はそれほど大きくないが、モナコでは路面にラバーが山のように乗るため、急激にグリップ力が変化する。

そのため、土曜日にアンダーステア(曲がりにくい)傾向だったクルマが日曜日のレース途中からオーバーステアになったり、逆に予選では曲がりやすかったクルマのリアタイヤがレース終盤に激しく摩耗して、ひどいオーバーステア症状に襲われるケースが少なくない。

モナコでは、ブラインドコーナーを攻めていく「Bravery(勇気)」と、ガードレールに囲まれた中で一瞬たりともミスもしない「Perfection(正確)」なドライビングがドライバーに要求されるが、大切なものはもうひとつある。それは、260km先のチェッカーフラッグに向けて、路面がどのように変化するかを予測し、それに合わせて自分のクルマのセッティングを土曜日の予選前までにどんなセットにしておくかという、「Prediction(読み)」である。

モナコがドライバーズサーキットと言われる所以は、そんなところにもある。

次回、GP Diaryは5月28日に更新の予定です。
お楽しみに。

聖地

2007年5月28日

モナコは、ドライバーを近くに感じることができる、ボクにとって聖地である。それは、コースの近くで写真が撮れるということではない。彼らドライバーの気持ちを、コーナリングやエキゾーストノートを通して、感じることができるからである。今年も愛機「TZ3」を片手に(本当に片手で収まる)、65回目となるモナコGPのレースをコースサイドで見ていて、つくづくそう感じた。

まず、ロウズ・ヘアピンのコーナリングである。かつてここにモナコ・モンテカルロ駅があったことから、「ステーションヘアピン」とオールドファンは現在もそう呼んでいるが、駅の移設後、その跡地にロウズ・ホテルが建てられ、この名前で呼ぶ人が多い。数年前にオーナーが代わり、現在はフェアモント・ホテルと名称が改められたが、コーナー名を「ファアモント・ヘアピン」と呼ぶ人はいない。

このロウズ・ヘアピンに来ると、ドライバーの気持ちをかなりダイレクトに感じることができるのだ。V8エンジンになって全開率が軒並み70%近くをマークするようになった現代のF1。70%という数字は、ほとんどのコーナーを全開で走っているという意味でもあり、それにともなって、最近はコーナリング時にはトラクションコントロールが作動する、あのミスファイアのような異音を聞くことも珍しくなくなった。

しかし、時速100km以下に減速しながら回り込むロウズ・ヘアピンでは、アクセルは全開どころか、かなり長い時間全閉となっていることがわかる。そして、ターンインした直後、コーナーのちょうど真ん中当たりから、待ってましたとばかりにアクセルオン(写真下/こことミラボーではあまりの高低差と路面のうねりから、左フロントタイヤが浮いて、瞬間的に3輪走行も見られる珍所でもある)。その瞬間、旧ロウズ・ホテルにこだまするエキゾーストノートは、まさにドライバーの叫び声。コースの形状だけでなく、すり鉢状にえぐられたヘアピン周辺のコースレイアウトが醸し出すこの現象は、モナコでしか味わえない。

そして、コーナーでのターンインで、イン側のガードレールすれすれのラインに切れ込もうとするドライバーの勇気もモナコでは随所に感じることができる。ボクはスタート直後、しばらくミラボーで各ドライバーのステアリングさばきを見ていた(写真上)が、もっともアグレッシブなドライビングを披露して、ミラボーアウト側に並んでいるレストランやカフェの特別席から拍手喝采を受けていたのが、天才ルーキーのハミルトンだった。レース終盤には、トップを追ってガードレールに何度かフロントタイヤをキスさせるほどアグレッシブなものだった。

かつてアイルトン・セナもプールサイド・シケイン出口のガードレールに何度かタッチさせたことがあったし、ジャン・アレジもミラボーのアウト側いっぱいに膨らんで、ガードレールに一度タイヤを接触させてから切れ込んでいったものだった。レース後、その激しいドライビングについて尋ねられたハミルトンは、こう言って笑った。

「今日は数え切れないほど、ガードレールに接触したよ。丈夫なクルマを作ってくれたチームのスタッフに感謝しなきゃ」。

モナコにまた新しいヒーローが誕生した07年だった。

次回、GP Diaryは6月1日に更新の予定です。
お楽しみに。

蹉跌

2007年6月1日

ミスをしない人間はいない。モナコで5勝を挙げて、マイスターの称号を手に昨年引退した皇帝ですら、モナコでは何度もミスしたものだ。

例えば、96年の雨のモナコだ。ポールポジションからスタートしたにもかかわらず、デーモン・ヒルの先行を許したミハエル・シューマッハは、1周目のロウズ・ヘアピンからポルティエへ向かう下り坂でクラッシュ。オリビエ・パニス優勝という波乱のレースの影の演出家となってしまった。98年にもフリー走行中、カジノ・コーナーでクラッシュ。レースでもアレキサンダー・ブルツ(当時ベネトン)と接触するなど、空回りした年であった。

2000年代に入っても、皇帝はたびたびモナコの犠牲者となった。04年にはセーフティカー出動中にトンネル内で急減速ゆえにファン・パブロ・モントーヤの追突に遭い、リタイア。昨年は予選の最終アタック中にラスカスで停止。ペナルティを受けて、ピットスタートを余儀なくされた。

今年のモナコGPが始まる前、現役ドライバーの中でモナコ最多勝を挙げていたのは、デビッド・クルサード(レッドブル)だった。彼もまた、モナコでは何度かミスしている。01年にモナコで初のポールポジションを獲得したクルサードは、フォーメーションラップのスタート時にエンスト。最後尾スタートとなり、レース中、ラップタイムで3秒も遅かったエンリケ・ベルノルディ(当時アロウズ)を抜けずに、結局5位に終わった。そのクルサードは今年の予選第2ピリオドでは、ヘイキ・コバライネン(ルノー)のアタックを妨害。無線が通じず、故意ではなかったものの、第2ピリオド8番手だったにもかかわらず、最終ピリオド進出は許されず、さらに13番手に降格という重い処分を食らった。

05年モナコ覇者のキミ・ライコネン(フェラーリ)も予選第2ピリオドでガードレールに接触。モナコでも2位に入り、連続表彰台記録を5戦に伸ばしたルイス・ハミルトンも、初日フリー走行2回目に1コーナーでクラッシュ。思えば、モナコ4勝のアラン・プロストも93年にジャンプスタート(フライング)でトップから4位に降格したことがあった。そして、モナコで最多勝となる6勝を挙げて、94年に天に召されたアイルトン・セナも88年にトップ快走中にポルティエで単独クラッシュ。

04年にモナコで初優勝を挙げたヤルノにとっても、今年のモナコGPは不運が重なった週末だった。予選第2ピリオドでヤルノが脱落したのは、ヤルノの1回目のアタック中にライコネンがラスカスで停止したことが関係していた。しかし、週末を通してヤルノがブレーキにトラブルを抱え、それが第2ピリオド2回目のアタックでタイムが伸びず、レースでヤルノの足を引っ張ってしまったことは、チーム側のミスと言えなくもない。ヤルノは初日のフリー走行2回目ですでに1分16秒台前半を記録していたわけだから、問題がなければ、ヤルノの最終ピリオド進出は間違いなかっただけに残念である。

また、初日にクルマを壊したラルフにしても、クラッシュする直前までの第1セクターと第2セクターはヤルノを上回るタイムで走行していただけに、決して腕が落ちたとは思えない。土曜日のセッティングに関して、何かがライバルチームに対して劣っていたと考えるべきだろう。

今年圧勝した古豪も、かつてここで悔しい思いをしたことがある。パナソニック・トヨタ・レーシングも今回は思いっきり、悔しがってほしい。それが成長の糧になるのだから。

次回、GP Diaryは6月8日に更新の予定です。
お楽しみに。