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Rd.08 フランスGP

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Merci

2007年6月29日

金曜日の朝、マニ-クールに到着して、いつものようにパドックに入るゲートでレッドブリテンを1冊もらった。表紙には「Adieu Magny Cours」(さよなら、マニ-クール)というタイトルが、トリコロールカラーで描かれていた。そう、マニ-クールで行われるF1は、おそらく今回が最後となるのである。

ページを開いてみると、F1ドライバーをはじめ、多くのF1関係者たちのマニ-クールでの「ベスト&ワースト・メモリー」が掲載されていた。通常なら、最後のグランプリになるかもしれないサーキットに対しては、多くの「ベスト・メモリー」で綴るのだろうが、このマニ-クールは関係者からの不満が高いサーキットであったため、こんな皮肉のこもった「さよなら特集」が組まれたというわけだ。

なんといっても宿泊施設が充分ではない。開催当初の90年代前半は、周辺の農家の納屋に泊まったという関係者もいる。中には最初から宿泊施設の予約はあきらめて、キャンピングカーをサーキットに持ち込み、駐車場で寝泊まりするメディアもいたほどだ。ボクが泊まっているホテルもサーキットから約80km離れており、1時間以上かけて通う毎日である。

そして、そのサーキットへ通じる道路が渋滞するのである。田舎に作られたサーキットということで、アクセス路が充分ではない。数年前にA77という高速道路が完成したものの、サーキットまではつながっておらず、一般道を使わなければならない。そして、この一般道が半端じゃない渋滞を発生させる。昨年は金曜日に予想外の大渋滞が発生。多くの関係者がフリー走行開始に間に合わないという事態となるほどだった。

そんなマニ-クールだから、最後はもう言いたい放題。確かに不便なサーキットで、深夜まで仕事をしてプレスルームを出ると、レストランはすべて閉まっている。だからボクも、マニ-クールに出かけるときは日本から毎年即席めんを持ってくるほどである。確かに不便なサーキットである。でも、ボクはそれでも、このサーキットのことを悪く言うことはできない。それは、ここでボクが初めてF1に乗ったからである。03年のことだった。サーキットが主催したイベントに参加して、隣接する特設コースを1周。それは、まさに夢のようなご褒美で、当時のGP Diaryでも、「Dream comes true」というタイトルとともに、その様子を綴ったほどだった。

マニ-クールで行われる最後のグランプリ。Adieu(さよなら)ではなく、Merci(ありがとう)と言いたい。

次回、GP Diaryは6月30日に更新の予定です。
お楽しみに。

可夢偉

2007年6月30日

「正直、自分には(勝てる)ポテンシャルがあると思っているんですが、巡り合わせが悪いというか、なかなか結果が出ていないというのが、現状です」

フランスGP開幕直前の木曜日、パナソニック・トヨタ・レーシングのモーターホームで行われたTDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)の記者会見で、小林可夢偉はそう言った(写真左)。

6月22日から3日間、ドイツのノリスリンクで行われたF3ユーロ・シリーズ第3戦。第1レースのグリッドを決める予選で3番手を手にした可夢偉は、翌日のレースで1周目からトップを快走する絶好のスタートを披露した。ところが、レース途中から雨が降り出し、ペースダウンを余儀なくされる。さらに後続車に追突され、ピットイン。結局9位でレースを終えた。翌日のレースでも、9番グリッドからスタートして2位まで浮上するが、再びコントロールを失った他車に接触されてリタイアに終わる。

TDPの先輩、平手晃平(写真中)、中嶋一貴(写真右)らがF3ユーロ・シリーズからGP2シリーズにステップアップしたために、2年目の今年はF3ユーロ・シリーズをTDPドライバーとしてはひとりで戦っている可夢偉にとって、今シーズンの目標はチャンピオン獲得である。しかし、第3戦を終えての可夢偉のランキングは7位。冒頭のコメントは、そんなアンラッキーなレースを2つ続けて終えたばかりの可夢偉の本音だった。

F3ユーロ・シリーズ第3戦から1週間。第4戦の舞台は、F1フランスGPが行われているマニ-クール。F1だけでなく、GP2も開催されているこのマニ-クールで、金曜日の予選、可夢偉はポールポジションを獲得した。

「レースをやるからには、勝ちたい。相手がだれであろうと、勝ちに行きます」

最高の舞台で、可夢偉がどんなパフォーマンスを披露するのか、楽しみにしたい。

次回、GP Diaryは7月1日に更新の予定です。
お楽しみに。

アンハッピー・バースデー

2007年7月1日

土曜日の予選終了後、あるパーティがパナソニック・トヨタ・レーシングのモーターホームで用意されていた。6月30日の土曜日は、ラルフの32歳の誕生日である。しかし、ラルフからの要求でパーティは中止。バースデーケーキが振る舞われることはなかった。この日、ラルフは100分の16秒差で最終ピリオド進出はならなかった。ラルフが第2ピリオドで予選を終えるのは、これで6戦連続。

「今日はラルフの誕生日だったので、その日に彼を最終ピリオドへ進出させることができなかったことが残念」と、新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターは唇をかんだ。

新居DTCが悔しいのだから、当然ラルフはもっと悔しかったに違いない。誕生日なら、なおさらである。だから誕生会が中止されたのは、それが理由だとボクは思った。

しかし、新居DTCによれば、「今日のラルフは特に渋滞に引っかかったわけでもないし、セットアップはヤルノよりもラルフのほうが順調に進んでいた。現時点で2人とも精一杯やったと思います」と、トップ10を逃したものの、それがアンラッキーが重なったわけでもなく、ましてやラルフの責任でないことを強調していた。

ならば、なぜラルフはパーティを中止したのか。それは予選後に行われたGP2レースで、大クラッシュが発生していたからである。前車のタイヤに乗り上げて、天地が逆さまのまま宙を舞って、コンクリートウォールの縁にコクピットから激突するという事故により、レースは近年では珍しく赤旗が出され、中断した。しばらくクラッシュしたときの映像が再生されず、さらにクラッシュしたクルマとドライバーの様子がまったくモニターに映し出されなかったことから、関係者の多くが事故に遭ったドライバーの安否を心配した。

そして、それはモーターホームでレースを見ていたラルフも同じだった。いや、同じドライバーとして、同じマニ-クールを走っているラルフのほうが、関係者よりも何倍も事故に遭ったドライバーの安否を心配していたに違いない。そして、そのラルフの気持ちをくんで、チームもまたパーティ開催を中止した。

幸い、クラッシュしたドライバーの生命に異常はなく、最悪の事態は避けられた。カナダGPで自分に接触したクルマがクラッシュした後、なかなか自分のレースに集中できなかったヤルノと同じように、ラルフもまた繊細な心の持ち主である。そのラルフにとって、32回目の誕生日はあまりいい一日ではなかったかもしれない。でも、キミに責任はない。今日起きたことは忘れて、日曜日は思いっきり自分のレースをしてほしい。

次回、GP Diaryは7月2日に更新の予定です。
お楽しみに。

不運

2007年7月2日

スタート直後のヘアピンで発生したヤルノの接触事故が、コースサイドにある大型モニターに映し出されたとき、「つくづく、今週のヤルノはツキがないな」と、ボクはため息をついた。じつはフランスGPで、ヤルノは毎日1回、不運な状況に見舞われていたのである。

まず金曜日。フリー走行1回目のセッション終了間際、セクター2にある180度コーナーを立ち上がろうとしたとき、デファレンシャルに異常が発生する。そのためヤルノはピットインするが、トラブルがハイドロ系に起因していたため、ヤルノのクルマはデフだけでなく、クルマ全体の制御を不能にし、ピットレーンで止まってしまった(写真上右)。セッション終了間際だったため、予定していたプログラムは消化し、かつ午後のセッションまで2時間半あったので、フリー走行2回目にはスペアのギアボックスとデフに交換し、きちんと整備し直したリアエンドで問題なく走行することができた。

土曜日は予選で発生した。タイムが接近することが予想されたため、ラルフは第1ピリオドの1回目のアタックから、一発の速さに定評がある軟らかめのタイヤであるソフトコンパウンドを履いてアタックを開始。しかし、ヤルノは最終ピリオドに向けてソフトタイヤを温存しておきたいため、いつもと同じように硬めのほうのタイヤであるミディアムを履いて、1回目のアタックを開始するのだった。1回目に1分15秒803をマークしたラルフに対して、ヤルノが1分16秒118とコンマ3秒ほど遅れたのは、そのせいだった。しかし、ミディアムタイヤでコンマ3秒遅れにとどめたことが、その後大きくものをいうのである。

第1ピリオド残り3分となったところで、トップ5を除く17人のドライバーが続々とコースイン。2回目のアタックを開始していった。もちろん、全車ソフトタイヤを履いている。ヤルノもここで予選で初めてソフトタイヤを装着し、本気モードでアタックを開始した。ところがセクター2で他車がストップしている脇を通過する際、コースサイドに立っているマーシャルが赤旗を出しているのを目撃。そのためヤルノはアクセルを戻してしまった。それを無線で聞いたチームは、「赤旗は出ていないから、アタックを続けろ」と指示を飛ばすが、時すでに遅し。すでにチェッカーフラッグが振れていたため、ヤルノは連続走行してタイムアタックを続けることを断念。第1ピリオド落ちを覚悟して、ピットインした。

1回目のアタックを終えた時点で11番手につけていたヤルノのポジションは、ライバル勢がフィニッシュラインを通過するたびにどんどん落ちていき、15番手に。そして、ここで第1ピリオドが終了。なんとか15番手に踏みとどまるのである。17番手のビタントニオ・リウッツィ(トロ・ロッソ)とのタイム差は、わずか100分の3秒だった。

そして、迎えた日曜日。ヤルノのレースはスタートから約20秒で終了してしまった。

イギリスGPで、ヤルノの運気が上がることを願いたい。

次回、GP Diaryは7月6日に更新の予定です。
お楽しみに。