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Rd.13 イタリアGP

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ドラッグ

2007年9月6日

「アクセルペダルから足を離した瞬間、ドライバーの身体には約1Gの減速Gがかかります」という話を聞いたことがある。1Gの減速Gがドライバーに加わるということは、つまり、クルマがそれだけ減速力を発生しているということである。1Gとはその物質の質量と同じだけの力が加わるということだから、車体重量である600kgほどの減速力がクルマに加わったことになる。さらに、これはブレーキングを行う前の話。何がクルマを減速させるのかというと、それは空気抵抗である。

直線をシケインと3つのコーナーで結んだモンツァは、全17戦中もっとも平均速度が高いサーキット。ホームストレートでの最高速は、時速340km以上にも達する超高速コースである。モンツァ以外のコースはコーナーが多いため、ダウンフォースを必要とする。そのため、きちんとダウンフォースを得るために、空気抵抗が発生することを承知の上で、クルマにさまざまな空力パーツを装着する。しかし、コーナーが少ないモンツァではダウンフォースを得ることよりも、いかに空気抵抗を少なくするかということが重要な問題となる。

「先週のテストでモンツァ用の空力パッケージを試しましたが、最高速を見る限り、空気抵抗を減らすという点ではかなりいいパッケージになっていると思います」(新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクター)という、イタリアGP仕様のTF107はトルコGPとは似て非なるものとなっていた(上の2枚の写真)。

ダウンフォースという言葉が使われ始めて久しい近代のF1だが、究極の駆けっこであるF1本来の魅力は、直線での高速バトルにあるのではないだろうか。週末のモンツァは高気圧の影響で、3日間ともドライコンディションになるという。モンツァらしい超高速バトルが繰り広げられることを期待したい。

次回、GP Diaryは9月7日に更新の予定です。
お楽しみに。

2007年9月7日

「なかなか、うまく行かないものですねえ」。

イタリアGP初日のセッションが終了した直後の囲み会見を、新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターは、そういってスタートさせた。何がうまくいかなかったのか。

午前中のヤルノのクルマにあって、午後のラルフのクルマにないものがあった。サイドポンツーンの前方上方にあるはずのアッパーボーダーウイング(トヨタはクラッシュウイングと呼んでいる)が、午後のTF107にはなくなっていたのである。理由は、ウイングをマウントするステーにひびが入ったこと。これは特にモンツァ用に新設計したパーツではなく、トルコGPで走ったものとまったく同じ仕様。つまり、モンツァの空気抵抗がTF107の翼を折ったのだった。

アッパーボーダーウイングに亀裂が入ったのはフリー走行1回目の途中。不具合は2台ともに発生し、その後チームはピットインのたびにさまざまな対策を施して、セッションを続けた。しかし、結局午後のフリー走行2回目に向けて、充分な対策が講じられないと判断し、お昼休みに2台ともアッパーボーダーウイングを取り外すという処置を行うのである。

つまり、イタリアGP初日のパナソニック・トヨタ・レーシングは、空力的には暫定バージョンで走行していたことになる。

チームは土曜日に向けて、ステーの部分を補強した新パーツを準備するという(写真下/テープで補強した暫定処置のクルマで車検待ちするTF107)。1時間しかないフリー走行3回目。限られた時間でどれだけセットアップを進めることができるか、注目したい。

次回、GP Diaryは9月8日に更新の予定です。
お楽しみに。

富士と鈴鹿

2007年9月8日

イタリアGP初日、金曜日のセッションが終わって、定例の囲み取材に向かおうとプレスルームを出ようとするボクを、ある外国人ジャーナリストが呼び止めた。

「サトウにスズカが復帰することに関するコメントを聞いてほしい」というのである。セッションの囲み取材で聞くには、ちょっと唐突すぎる質問だなと思い、「ちょっと無理かも……」と返答すると、そのジャーナリストは「今夜、スズカの社長がやってきて、バーニーと会うらしい。そして09年から日本GPをスズカで再開することに関する契約書にサインするらしいから、そのニュースを配信するのに合わせて、サトウのコメントを取っておきたいんだ」と言うではないか。

なにやら、これは重要だなと思い、「よっしゃ、なんとか聞いてきてあげるよ」と囲み会見へ。みんなの質問が一通り終わったところで、「鈴鹿が復活しそうですが、どう思いますか」と佐藤琢磨選手に尋ねると、「まだ、富士での日本GPが始まっていないので、いまは富士で行われる日本GPを楽しみにしたい。でも、いつか復活すると信じていたので、本当ならもちろんうれしい」と、答えてくれた。

囲み会見が終わると、仕事仲間の何人かが近寄ってきた。「尾張さん、さっき『鈴鹿が復活するとか、なんとか』って琢磨に聞いていたけど、それ本当?」。ボクは正直に事のいきさつを話すと、「そうなんだ、そりゃスクープだ」って、みんな目を丸くしていた。それくらい、現場でも今回の決定は寝耳に水というか、急展開の出来事だった。

土曜日の朝10時、正式にそのことが発表され(写真右)、鈴鹿サーキットを所有するモビリティランドの土橋哲社長が会見を行った(写真左)ので、そのあとパナソニック・トヨタ・レーシングの山科忠チーム代表にも感想をうかがった。

「現在、私はTMGの会長でもありますが、トヨタ自動車の役員でもあります。もちろん、日本GPの開催に関してはトヨタ自動車ではなく、富士スピードウェイとの契約ですから、私はこの件に関してコメントする資格はありませんが、個人的には『東の富士』、『西の鈴鹿』と、東西で日本GPを開催するということは、日本のモータースポーツ全体のことの考えれば、良い判断だったと思います。特に日本のF1を去年まで支えてきた鈴鹿の人たちには感謝しているし、復活することになって良かったと思います」

次回、GP Diaryは9月9日に更新の予定です。
お楽しみに。

誰も寝てはならぬ

2007年9月9日

ドライバーズパレードが終わって、グリッドギャルたちがスターティンググリッドに並ぶまでの15分間のことだった。太陽よりも輝ける高音がモンツァの空に木霊した。ボクはそのときちょうど夜食用にグランドスタンド裏のパニーニ屋さんに買い出しに来ていた。気がつくと、周囲にいたほとんどの人が会話をやめ、立ち止まって、豊艶なテノールの歌声に聞き惚れていた。

しかし、その美声の声の主は、サーキットにはいなかった。なぜなら、サーキットに木霊した歌を歌っていたのは、イタリアGP前日の9月6日に、享年71歳の生涯をモデナの自宅で閉じたイタリアが生んだ名オペラ歌手、ルチアーノ・パヴァロッティだからである。

2日後の9月8日には、モデナの大聖堂で葬儀が行われ、イタリアの首相をはじめ、多くの著名人が参列したと聞く。弔問に訪れた市民の数も、10万人以上にも達したという。今年、日曜日にモンツァに集まった観客数が9万人だから、その数がいかに凄いかは推して知るべしである。そして、この日サーキットに響き渡っていた歌がプッチーニのオペラ「トゥーランドット」の第3幕で使われる「誰も寝てはならぬ」だったことが、モンツァの観客の心をとらえていた。これは、去年のトリノ・オリンピック開会式で、パヴァロッティが美声を響かせた歌である。そして、そのステージが、パヴァロッティにとって最後の大舞台だった。

この日、モンツァでこの歌に耳を傾けていた人は、そのことを知っていたのだろう。そこに、歌手がいないにもかかわらず、ただCDをプレーヤーで流していただけにもかかわらず、その演奏が終了すると、グランドスタンドの観客は一斉にスタンディングオベーションで拍手を送っていた。


日曜日、スタンドを埋め尽くしたティフォシたちの前で、跳ね馬は栄光を手にすることができなかった。しかし、スタンドの観客は跳ね馬の失速に怒りの声を挙げることもなく、静かにレースを観戦していた。それはまるで、跳ね馬の地元と同じモデナ出身の天才テノール歌手の死に対して、喪に服しているかのようだった。

負けて良かったなんて、勝負にあるわけはない。でも、祝福する気持ちになれない日というのが、人にはある。ボクは、この日のモンツァがそんな雰囲気に包まれていたように思うのだった。

次回、GP Diaryは9月14日に更新の予定です。
お楽しみに。