Cooler
2008年3月20日

オーストラリアGPの翌日、ボクはホテルで死んでいた。開幕戦はいつもにも増して原稿の依頼が多く、そして締切は早い。したがって、開幕戦とその直後はいつも「死ぬほど」忙しいのだが、今回ボクが「死んだ」のは、メルボルンの暑さである。日曜日の深夜2時半にプレスルームを出て(もちろん最後)、ベッドで死んだように寝ていたボクを昼前に起こすほどの暑さだった。それから、外に一歩も出ずにテレビも新聞に目をやる。外気温が何度だったかはわからないが、ホテルのフロントスタッフは「日曜日よりも確実に暑かったわ」と言っていたので、40℃は超えていたと思う。そりゃ、死にそうになるのも当然である。
しかし、メルボルンで死にそうな目に遭ったことが、クアラルンプールで役に立った。いつもは春先の日本から赤道直下の常夏のマレーシアへ向かうため、空港に降りた瞬間から汗だくの状態になっていたものだが、今年は身体がメルボルンで「真夏の暑さ」を体験していたので、「あれ、クアラルンプールって、こんなに涼しかったっけ?」というのが、到着時の印象だった。
確かに、ボクがクアラルンプールに到着したのは水曜日で、その日は午後からずっと雨がシトシトと降る珍しい天候だったことも、涼しかった要因となっていたかもしれない。しかし、木曜日のセパンは相変わらずの蒸し暑さはあるけれど、天を仰げば、くもり空。プレスルームのモニターの表示も気温は29℃と30度にも達していない。
新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターによれば、週末のセパンは、日曜日以外は曇り空らしい。そして、日曜日はというと、50%から70%の確率でスコールが来るという。今年から白線が入るようになったウエットタイヤ(エクストリームウェザー)が登場するかもしれない。
次回、GP Diaryは3月21日に更新の予定です。
お楽しみに。
プレゼント
2008年3月21日
マレーシアGP開幕前日の3月20日、パナソニック・トヨタ・レーシングのホスピタリティエリアにチームスタッフが集合した。ジョン・ハウエットTMG社長、パスカル・バセロン(車両デザイン及び開発ゼネラルマネージャー)、ディーター・ガス(チーフエンジニア)、そしてヤルノ・トゥルーリと小林可夢偉のドライバーたちに囲まれて、このセレモニーの主役となったのは、ティモ・グロックだった。
ドイツ生まれのティモの誕生日は1982年3月18日。つまり、オーストラリアGPの翌々日に、すでに26回目のバースデーを迎えていた。26歳という年齢がF1界で決して若くないことは、チームメートのヤルノが23歳でF1にデビューしていることからもわかる。しかし、ティモのF1デビュー戦は、実はヤルノより1歳若い22歳だった。現在は消滅したが、ジョーダンからスポット参戦したティモにとってのF1デビュー戦は、04年のカナダGPである。
04年カナダGP――それはパナソニック・トヨタ・レーシングにとっても、忘れがたいグランプリである。クリスチアーノ・ダ・マッタが8位でフィニッシュしながら、フロントのブレーキダクトに違反があったという指摘を受けて、レース後に失格となったレースだったからである。そして、そのレースで繰り上がり入賞を果たし、デビュー戦でいきなりポイントを獲得したのが、ティモだった。
しかし、ティモのF1生活はそこでいったん途絶える。そして、05年にティモが活躍の舞台として選んだのは、アメリカのチャンプカー・シリーズだった。そこでルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得してヨーロッパに戻ってきたものの、ティモにF1からの誘いはなかった。06年はF1の登竜門として新設されて2年目のGP2にステップダウン。シーズン序盤はチーム状態に恵まれずに、不振を極めた。その年の後半、ティモはチームを移籍。ルイス・ハミルトンとネルソン・ピケJr.がタイトル争いでしのぎを削る中、2勝を挙げる。
その活躍が偶然でなかったことは、昨年のGP2制覇が証明している。そして、迎えたレギュラードライバーとしてのF1開幕戦。王者キミ・ライコネンとの攻防に勝利を収めた直後に、コースオフ。ランオフエリアの段差によってクルマが大破するという不運なアクシデントによって、ティモのパナソニック・トヨタ・レーシングでのデビュー戦は終わった。しかし、ティモのF1生活は始まったばかりである。
オーストラリアGPの事故の後、FIAはティモのマレーシアでの再検査を要請。一時、リザーブドライバーである可夢偉の起用もウワサされたが、チームはティモの続投を明言した。その直後に行われたのが、このセレモニーだった。そして、このバースデーパーティの直後に、ティモはメディカルセンターへ向かい、正式にマレーシアGP出場の許可をもらうのだった。
ティモにとって、2日遅れの誕生日会となったこの日のイベント。しかし、レーシングドライバーにとって最高のプレゼントを、ティモはこの日、チームからもらっていたのではないだろうか。
次回、GP Diaryは3月22日に更新の予定です。
お楽しみに。
残業
2008年3月22日

予選後、あるいはレース後に、車検や審議などで、なかなか公式結果が出ない状況を、ボクは勝手に残業と呼んでいる。昨年はハンガリーGPで公式結果が深夜11時55分に出るという、とんでもない残業があったほか、ベルギー(スパイ事件の判決)、中国GP(日本GPのセーフティカー中のハミルトンの蛇行運転に関する審議)、ブラジルGP(BMWザウバーとウイリアムズの燃料温度問題)など、結構残業をしたシーズンだった。
残業とはいっても、これはボクが勝手に呼んでいるだけなので、もちろん残業代は出ない。むしろ、あちこちへ追加の情報を知らせるために電話をかけたり、FAXを送ったりするので、身銭を切ることとなる。
ただし、残業には独特の楽しみがある。それは、だれよりも早く、注目している決定を知ることだ。「世界中のだれよりも……」といったら、少し大げさかもしれないが、それに近い気持ちになることは確かである。プレスルームでだれかが走ると、「何事か」とみんな振り返るし、FIAの広報担当者やプレスルームのスタッフが何か白い紙を持って、プレスルームに入ってくると、みんなが走って群がる。その光景は滑稽に見えるかもしれないが、みな真剣である。
今シーズンはその残業がいきなり第2戦のマレーシアGPでやってきた。マクラーレン勢の2台が他者のアタックを妨害したというのである。今回の残業は19時34分に決定が出されたので、早く済んだけれど、残業中にプレスルームのスタッフから即席麺の差し入れがあった。マレーシアやシンガポールで売られている即席麺は、日本のものとはまた違ったおいしさがある。ハンガリーでの夜食もたしか郷土料理であるパプリカチキンだった。ホテルとサーキットの往復しかしていないボクにとって、この残業用夜食はささやかな楽しみでもある。
そして、予選5番手で終えていたヤルノ・トゥルーリにとっても、今回の残業は格別だったのではないだろうか。マクラーレン勢2台が5番手降格することとなったため、ヤルノのスタートポジションは3番手となるからである。日曜日のレースでは、どんな結果が待っているのか。できれば、2夜連続の残業だけは勘弁してもらいたい。
次回、GP Diaryは3月23日に更新の予定です。
お楽しみに。
チームワーク
2008年3月23日
サーキットにおけるピットガレージの位置は、基本的には前年のコンストラクターズ選手権順となっている。ただし、昨年スパイ事件でコンストラクターズポイントをすべて剥奪されたマクラーレンは、開幕2戦とも4位のウイリアムズと5位のレッドブルの間にガレージを設けていた。
そして日曜日のレースでは、5番目のガレージを使用していたマクラーレンと6番目のレッドブル、そしてその隣に陣取っていたパナソニック・トヨタ・レーシングの3チームが、素晴らしいファイトを繰り広げた。
まず、スタート直後の1コーナーでBMWザウバー勢にはさまれる形となったヤルノ・トゥルーリは、本来の走行ラインを取ることができず、外側に膨らんでしまう。5番手からスタートして左側に並びかけてきたニック・ハイドフェルト(BMWザウバー)は、なんとか抑えることができたヤルノ。しかし、ここでこのヤルノをかわしたのが、6番グリッドからスタートしていたマーク・ウェバー(レッドブル)だった。
さらに続く4コーナーでは、予選後にペナルティを受けて9番手に降格しながら、絶妙のスタートで一気にポジションを挽回していたルイス・ハミルトン(マクラーレン)がヤルノを攻略する。しかし、ここからパナソニック・トヨタ・レーシングは、ヤルノがコース上で失ったポジションを1つずつ取り戻していくのである。
最初のターゲットはウェバーだった。1.6秒前方を走行していたウェバーが1回目のピットストップに向かったのは、16周目。翌17周目にピットインしたヤルノを、チームは迅速な作業で送り出し、ウェバーの前でレースに復帰させることに成功するのである。さらにこの素晴らしいピットストップの直後の19周目、今度はマクラーレンのハミルトンのピットストップでトラブルが発生。ヤルノは労せずして、再び2人の前でレースを再開することとなった。
しかし本来、予選でヤルノよりも速かったハミルトンは、2回目のピットストップ後、徐々にその差を詰めてくる。この最終局面で踏ん張ったのが、ヤルノ本人である。チームが取り戻してくれたポジションを、必死に守るヤルノの走りを、パナソニック・トヨタ・レーシングのガレージではみな拳を上げて応援していたという。そして、その声援に応える走りで4位を死守したヤルノを、山科忠チーム代表は「私が就任して以来、最高のレースだった」と称えた。
汗だらけのヤルノと抱き合う山科代表。「おまえのために、もっともっとクルマを速くするよ」と言うと、30℃の中で1時間半もレースをし、くたびれた表情をしていたヤルノは途端に笑顔となり、山科代表とがっちりと握手。
F1が個人スポーツではなく、チームスポーツであることをあらためて実感したマレーシアGPだった。
次回、GP Diaryは3月28日に更新の予定です。
お楽しみに。