f1.panasonic.com

Rd.02 マレーシアGP

  • Diary by 尾張正博
  • Results
  • Gallery

プレゼント

2008年3月21日

マレーシアGP開幕前日の3月20日、パナソニック・トヨタ・レーシングのホスピタリティエリアにチームスタッフが集合した。ジョン・ハウエットTMG社長、パスカル・バセロン(車両デザイン及び開発ゼネラルマネージャー)、ディーター・ガス(チーフエンジニア)、そしてヤルノ・トゥルーリと小林可夢偉のドライバーたちに囲まれて、このセレモニーの主役となったのは、ティモ・グロックだった。

ドイツ生まれのティモの誕生日は1982年3月18日。つまり、オーストラリアGPの翌々日に、すでに26回目のバースデーを迎えていた。26歳という年齢がF1界で決して若くないことは、チームメートのヤルノが23歳でF1にデビューしていることからもわかる。しかし、ティモのF1デビュー戦は、実はヤルノより1歳若い22歳だった。現在は消滅したが、ジョーダンからスポット参戦したティモにとってのF1デビュー戦は、04年のカナダGPである。

04年カナダGP――それはパナソニック・トヨタ・レーシングにとっても、忘れがたいグランプリである。クリスチアーノ・ダ・マッタが8位でフィニッシュしながら、フロントのブレーキダクトに違反があったという指摘を受けて、レース後に失格となったレースだったからである。そして、そのレースで繰り上がり入賞を果たし、デビュー戦でいきなりポイントを獲得したのが、ティモだった。

しかし、ティモのF1生活はそこでいったん途絶える。そして、05年にティモが活躍の舞台として選んだのは、アメリカのチャンプカー・シリーズだった。そこでルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得してヨーロッパに戻ってきたものの、ティモにF1からの誘いはなかった。06年はF1の登竜門として新設されて2年目のGP2にステップダウン。シーズン序盤はチーム状態に恵まれずに、不振を極めた。その年の後半、ティモはチームを移籍。ルイス・ハミルトンとネルソン・ピケJr.がタイトル争いでしのぎを削る中、2勝を挙げる。

その活躍が偶然でなかったことは、昨年のGP2制覇が証明している。そして、迎えたレギュラードライバーとしてのF1開幕戦。王者キミ・ライコネンとの攻防に勝利を収めた直後に、コースオフ。ランオフエリアの段差によってクルマが大破するという不運なアクシデントによって、ティモのパナソニック・トヨタ・レーシングでのデビュー戦は終わった。しかし、ティモのF1生活は始まったばかりである。

オーストラリアGPの事故の後、FIAはティモのマレーシアでの再検査を要請。一時、リザーブドライバーである可夢偉の起用もウワサされたが、チームはティモの続投を明言した。その直後に行われたのが、このセレモニーだった。そして、このバースデーパーティの直後に、ティモはメディカルセンターへ向かい、正式にマレーシアGP出場の許可をもらうのだった。

ティモにとって、2日遅れの誕生日会となったこの日のイベント。しかし、レーシングドライバーにとって最高のプレゼントを、ティモはこの日、チームからもらっていたのではないだろうか。

次回、GP Diaryは3月22日に更新の予定です。
お楽しみに。

コメントを投稿する

トラックバックURL

http://f1.panasonic.com/cgi-bin/form/tb.cgi/1747

トラックバック

Herzlilichen Glueckwunsch zum Geburtstag, Timo! [Konditorei M]|2008年3月22日1時19分

メルボルンでの悪夢が覚めないまま(?)に突入するマレーシアGPであります。フェラーリもだけど、トヨタとしてもセパンでは2台そろっての完走、できればポイント...

ご利用にあたって

  1. 本サイトのご利用は、ご利用者ご自身の責任において行われるものとします。
  2. 掲載内容等に関するご質問には、お答えできない場合がございます。予めご了承の上、ご利用ください。
  3. コメントの書き込み、トラックバックは自由に行っていただいてかまいませんが、事務局が不適切と判断した場合には削除することがあります。
    予めご了承の上、ご利用ください。