スペア
2008年5月21日
どこの空港にも搭乗ゲートに向かうまでに必ずX線のチェックがある。搭乗客の手荷物を検査するためだ。そしてX線の機械に通す前に、セキュリティスタッフは「ラップトップパソコンをカバンから出してください」と指示する。最近はビジネスマンに限らず、ツーリストでもパソコンを携帯しているケースが多くなってきたので、どの空港でもX線チェックの前には行列ができている。
そのX線チェックのスタッフたちに、いつも驚かれているのがボクのカバンである。正確には、カバンに驚いているのではなく、カバンの「中身」を見て驚くのである。「パソコンを出してください」と言われて、セキュリティスタッフに1台パソコンを手渡したボクが、カバンからもう1台パソコンを取り出すからだ。
石橋を叩いても、時には渡らないほど用心深いボクは、パソコンがいつ故障してもいいように、バックアップ用を含め、常に2台のパソコンを持ち歩いている。バックアップはパソコンだけに限らない。携帯電話、ICレコーダー、カメラ、腕時計、イヤホン、LANケーブルなど、必要なもののほとんどを2台ずつ持ち歩いている。
ところが、そんな心配性がたたってか、トルコGPでは自分の身体が悲鳴をあげてしまった。日曜日のレース終了後からだんだん胃が絞られるように苦しみだし、ひと通りの取材を終えたときには立っているのもやっとという状態だった。プレスルームの1階にあるソファで少し横になってみたものの容体は変わらず、夜10時前にプレスルームを後にして、ホテルへ。こんなに早くプレスルームを出たのは、ボクのF1人生の中で初めての経験だったように思う。
一晩中、苦しみもがいて、気がついたら朝を迎えていた。幸い胃の調子は大事には至らず、それから数時間後にはパソコンを叩いて原稿を送信できるまでに回復したが、あのときほど「自分の身体(あるいは胃)のスペアがあったらなあ」と思ったことはなかった。
あれから2週間。もうモナコGPである。ガードレールに囲まれて戦うモナコGPは、一年でもっとも接触事故のリスクが高いグランプリである。だから毎年、モナコにはどのチームもスペアパーツを通常のグランプリ以上に持ち込む。しかし、どんなにハードウェアを準備しても、それを操るドライバーにスペアはない。選ばれし、20名による戦いがいよいよ始まる。
次回、GP Diaryは5月22日に更新の予定です。
お楽しみに。
リスク
2008年5月22日
「どのサーキットでも経験というのは大きな武器になりますが、モナコではその差が特に大きくなります」
こう語るのは、パナソニック・トヨタ・レーシングのサードドライバー、小林可夢偉である。GP2シリーズのフリー走行は30分しかない。しかも、F1のように午前と午後に分かれているわけでもなく、土曜日にもう一度最終調整が行われるわけでもない。初日(モナコの場合は木曜日)にたった30分走行しただけで、いきなりその日の午後に予選が開始される。そのモナコGPの予選で17番手に終わった可夢偉の言葉が、決して言い訳ではなく事実であることは、F1のフリー走行1回目の結果を見てもわかる。
モナコGP初日。フリー走行1回目の順位とF1での走行経験は以下の通りである。
1位 ライコネン 8回目
2位 ハミルトン 2回目
3位 コバライネン 2回目
4位 マッサ 6回目
5位 ロズベルグ 3回目
6位 クビカ 2回目
7位 アロンソ 7回目
8位 バリチェロ 16回目
9位 ウェバー 7回目
10位 フィジケラ 12回目
11位 グロック 初
12位 バトン 9回目
13位 ブルデー 初
14位 ハイドフェルト 10回目(トラブル)
15位 中嶋一貴 初
16位 トゥルーリ 12回目(トラブル)
17位 スーティル 2回目
18位 ピケJr. 初
19位 フェッテル 初
20位 クルサード 14回目(トラブル)
上位陣を占めているのが、2回目以上の経験者であるのに対して、下位にいるドライバーはトラブルに見舞われた者か、あるいは今回がモナコ初出走というドライバーであることがよくわかる。エスケープゾーンがほとんどないモナコでは、ほんの些細なミスが即、クラッシュにつながる。そのため1回目のフリー走行は、かなりマージンをとって走行するという。
かといって、安全に走っているばかりでは、タイム向上につながらない。「攻めなければタイムが出ないことはわかっているけれど、クルマを壊してはならないというリスクを考えて、なかなか攻めきれない」(可夢偉)のが、モナコなのである。経験豊富であるはずのヤルノ・トゥルーリやフェルナンド・アロンソ、フェリペ・マッサらがフリー走行2回目でクラッシュしてしまったのも、そんな理由が考えられる。
攻めすぎればガードレールの餌食になり、それを恐れてマージンを取りすぎていてはタイムが伸びない。ガードレールだけでなく、ドライバーは精神的なプレッシャーとも戦わなければならない。それが、モナコGPの難しさであり、ドライバーズサーキットと言われる所以なのである。
次回、GP Diaryは5月24日に更新の予定です。
お楽しみに。
12年周期
2008年5月24日
F1のパドックの中には競馬好きな方が意外と多く、グランプリ期間中に日本で開催されるG1レースに関する過去のデータや日本の天気について、いろんな情報交換を行う。ボクは「今週末の関東地方は雨だから、きっと競馬も荒れるでしょう」と自説を展開。すると、ボクが尊敬してやまない勝負師のN氏が、「だったら、モナコも荒れるかも」という予想を披露してくれた。それは、「モナコの12年周期ウエットレース&フランス人ドライバー優勝説」である。
というのも、モナコGP開催前日に行われたパナソニック・トヨタ・レーシングの新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターによる週末予報で、日曜日に雨が降る確率は60%ほどと高かったからである。さらに、降水確率は日を追うにつれて高くなり、予選が終了した段階では「レースが完全なドライコンディションで行われることはなく、間違いなくウエットコンディションで行われるでしょう」(新居章年DTC)という状態なのだ。そこで登場してきたのが、「12年周期ウエットレース&フランス人ドライバー優勝説」である。
モナコでの雨のレースは97年など何度かあるが、印象的なレースがいまから12年前にあった。それは96年のオリビエ・パニスの初優勝である。ポールポジションからスタートする予定だったミハエル・シューマッハがローズヘアピンを過ぎたところで単独クラッシュ。ランキングナンバーワンでトップを走行していたデーモン・ヒルまでリタイアして、混沌としたレースを制したのは、デビュー3年目のパニスだった。
そして、その12年前。つまり、84年にももうひとつ印象的なウエットレースがモナコで繰り広げられた。それは、アイルトン・セナとアラン・プロストの因縁の対決の始まりとなった雨中の激走である。ルーキーだったセナが、ポールポジションからスタートしたプロストをオーバーテイクした直後に赤旗が出されてレースは終了。レギュレーションにより、プロストが優勝を手にするのだった。
その12年前の72年のモナコGPも豪雨だったという。ボクはそのレースを見たことはないが、優勝したのはジャン=ピエール・ベルトワーズ。つまり、みんなフランス人なのである。ということは、その説によれば、日曜日のレースは雨となり、優勝するのはフランス人のセバスチャン・ブルデー(トロ・ロッソ)ということになる。ブルデーの予選ポジションは16番手だが、12年前のパニスが優勝したときのスタート順位は14番手だった。
どんなレースが待っているのか。コート・ダジュールの空を眺めながら、日本の天気も気になる土曜日の夜だった。
次回、GP Diaryは5月25日に更新の予定です。
お楽しみに。
タイヤ交換
2008年5月25日
フェルナンド・アロンソ(ルノー)がガードレールに接触し、直後にデビッド・クルサード(レッドブル)とセバスチャン・ブルデー(トロ・ロッソ)が追突してコース上で停止した。その直後、タイミングモニターは6番手を走行していたヤルノ・トゥルーリがピットインしたことを知らせる表示に変わった。その直前には「セーフティカー出動」という文字もモニターに表示されていたから、ヤルノがピットインしてペナルティなしで行える作業はタイヤ交換だけだった。
20台中19台が浅溝のウエットタイヤでスタートしたモナコGP決勝レース。パナソニック・トヨタ・レーシングの2台も浅溝ウエットで、今シーズン初めて2台そろってポジションアップに成功する絶妙のスタートを切っていた。直後に7番手を走行していたティモ・グロックがスピンを喫したものの、チームメートのヤルノ・トゥルーリは6番手。上位入賞の可能性を秘めていた。ヤルノがピットインしたのは、その直後だった。
あのタイミングでタイヤを交換すれば、入賞圏内から脱落することは目に見えていた。そして、コースに復帰したヤルノのポジションは12番手に落ちるのである。レース終了後の新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターの記者会見では、ヤルノのタイヤ交換に質問が集中した。
「タイヤ交換の前から、ずっとヤルノは『レースを続けられない』と無線でタイヤ交換を要求していました。確かにヤルノのタイヤの空気圧は想定していた数値を下回っており、走りづらい状況だったと思います。でも、あの状況でタイヤ交換を行えば、みすみすポイントを明け渡してしまうため、すぐにピットインさせることはしませんでした。その一方で、仮にセーフティカーが出るような状況が訪れれば、ヤルノをただちにピットインさせることができるように深溝ウェットの準備は整えさせていました」
多重クラッシュが発生して、セーフティカーが出動したのは、そんなときだった。ペースが上がらないヤルノをピットインさせるには、絶好のタイミングだったわけである。果たして、ギャンブルは失敗に終わる。
ヤルノにタイヤ交換をさせるという判断を下した場にいたわけではないので、その判断をボクには否定することはできない。しかしその結果、上位で入賞する可能性があったレースをフイにした事実も否定はできない。トラブルを抱えてピットインしたドライバー以外は、難しいコンディションだったにもかかわらず、みんな同じ浅溝ウエットで走行を続けていた。その中で、どうしてベテランのヤルノが真っ先に深溝ウエットに交換したのか(させたのか)。コース上でミスをしてもいいから、あの状況でモナコを走り続けるヤルノの姿をもっと長く見ていたかった。それが叶わなかった空しさだけが、レース後のボクの心を苦しめていることも否定できない。
次回、GP Diaryは5月29日に更新の予定です。
お楽しみに。
日本人初入賞
2008年5月30日
モナコから帰ってきて書類を整理しながら、先週末のモナコGPを振り返っていたら、あらためてモナコの市街地サーキットが難しいコースだということを確認した。
モナコの市街地コースは、平均速度が18戦中もっとも低い。にもかかわらず、毎年多くのドライバーがこの市街地コースの餌食となっている。現在、イタリアのメディアにチャンピオンのキミ・ライコネンが叩かれているが、モナコで5勝を挙げ、モナコマイスターの称号を手にしていた皇帝ミハエル・シューマッハですら、このモナコでは多くのミスを重ねたものである。06年の予選でのラスカスにおけるブレーキングミスは記憶に新しいところ。
そのM・シューマッハより1つ多い6勝を挙げ、モナコ最多勝ドライバーであるアイルトン・セナですら、モナコで忘れられないミスを犯している。88年にトップを独走しながら、レース終盤に単独クラッシュ。集中力を保つことがモナコのストリートコースでは難しいことと、もっとも大切であることを思い知らされた。
ともにモナコで2勝を挙げ、現役最多勝コンビであるフェルナンド・アロンソとデビッド・クルサードも、今年のモナコでは「らしからぬ」ミスを連発した。経験豊富なドライバーですら、ミスを犯してしまう。それがモナコというサーキットの奥の深さであり、恐ろしい部分なのである。今年のモナコGPで接触やスピン、コースアウトなどのアクシデントに見舞われることなく、しかもチェッカーフラッグまで走りきったドライバーは、たったの6人しかいない。優勝したルイス・ハミルトンですら、レース序盤にガードレールに接触していた。
したがって、新人ドライバーたちが、いとも簡単にモナコのガードレールに弾き飛ばされてしまうのは当然である。それを表しているのが入賞率だ。2000年以降の9回のうち、初めてのモナコでのF1レースで、ルーキーが入賞した年は07年と08年の2回だけ。昨年はハミルトンで、今年はウイリアムズ・トヨタの中嶋一貴である。
帰りの飛行機の中で読んだ新聞には優勝したハミルトンよりも、日本人として初めてモナコで入賞した一貴のほうが扱いが大きくて驚いたものである。しかし、よく考えてみるとその扱いがまんざら大げさでもないことは、レース以外でも一貴はミスを犯していなかったことが証明している。昨年いきなり入賞したハミルトンはその年のフリー走行初日でクラッシュしているのに対して、一貴は3日間まったくミスを犯さなかった。そればかりか、たった1つしかない最新のフロントウイングを予選まで大切に取っておこうと、初日のフリー走行では使わなかったほどである。時に大胆な彼には、それを上回るほどの賢さも備わっている。そうでなければ、ルーキーが6戦中3度も入賞はできない。
ちなみにチームメートのニコ・ロズベルグには新しいフロントウイングが2つあった。しかし、それはスタート直後の接触とその後の接触によって、序盤で早々に消えてしまうのである。2度目のピットストップ時にロズベルグが装着したフロントウイングは旧タイプのものだったことが考えられ、そうであれば新ウイングに比べてややダウンフォースが出ていない仕様だったはずだ。ウエットコンディション時はリアタイヤのトラクションを重視するため、フロントウイングのダウンフォースが足りなかった旧タイプでも問題にはならなかったのだろうが、路面が乾いてきたレース後半はかなりバランスが変化していた(どアンダーステアになっていた)に違いない。さらに路面にラバーが乗ってきたことが、あのようなクラッシュにつながったのではないだろうか。
いずれにしても、ケガが大事に至らなくて幸いだった。そして、そんなモナコで入賞した一貴の成長ぶりに、あらためて驚いている週末である。
次回、GP Diaryは6月6日に更新の予定です。
お楽しみに。