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Rd.07 カナダGP

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2008年6月5日

F1を取材するという点において、行きたくないグランプリが2つある。そのうちのひとつが今週末開催されるカナダGPだ。別にカナダに恨みはない。人々はフレンドリーだし、パンケーキにメープルシロップをかけて食べるホテルの朝食はここでしか食べられない。サーキットもダウンタウンから15分程度のところにあるからアクセスが楽だし、カナダ最大のチャイナタウンは夜中まで開いているので晩飯に困ることもない。

にもかかわらず、カナダGPへ行きたくないのは、主戦場であるプレスルームが18戦中もっとも狭いからである。どれくらい狭いかというと、ラップトップコンピュータのモニターを90度以上開けると、向かいに座っている人のモニターにぶつかるほどである。机と机の間隔も狭いから、セッション途中でトイレに行くのもひと苦労。さらに空調設備がひどくて、2年前までは気持ちが悪くなるほど蒸し暑く、ジャーナリストたちが連名で抗議書を出したほどである。通信環境もひどくて、FAXを20枚日本へ送った程度で3万円を請求されるし、無線LANは3万円ほどかかるし、出費がかなりかさむことも、人々のイライラ感を募らせていたようだった。

だから、今年もカナダGPへの出発は気が滅入ったものだったが、成田空港のラウンジで仕事仲間のNさんから届いたメールを見て、改心した。なんと悪名高きプレスルームが新設されたテントに移転したというのだ。約2倍に広がったプレスルームには、パナソニックのモニターが96基も掲げられていて快適。18戦中もっとも高かった無線LANも無料とくれば、意欲も自然と沸いてくるというもの。午後3時から中嶋一貴選手がサーキットを歩くというから、久しぶりにサーキットを一緒に1周歩いた。するとヘアピンの手前で見慣れないコンクリートウォールが出現。そう、昨年大クラッシュしたロバート・クビカ(BMWザウバー)の事故を教訓に、コンクリートウォールのレイアウトを変更したのである。

いよいよ明日から、新しく変わったカナダGPがスタートする。

次回、GP Diaryは6月6日に更新の予定です。
お楽しみに。

「荒れるカナダGP」

2008年6月6日

荒れるカナダGPという言葉が、F1にはある。例えば、過去20年間に初優勝を遂げたドライバーのうち、実に3人がこのモントリオールで行われたカナダGPが晴れ舞台となった。ひとりは89年のティエリー・ブーツェン(ウイリアムズ)。雨が降ったり止んだりする難しいコンディション中で、冷静な走りと的確な読みによる見事な優勝だった。

その89年にF1にデビューしたジャン・アレジ(フェラーリ)が2人目である。初のF1レースとなった89年フランスGPでいきなり4位に入賞するという華やかなデビューを飾ったアレジだが、勝利までの道のりは遠かった。何度か先頭を走りながらも、その都度トラブルに見舞われて優勝を逃していたアレジにチャンスが転がり込んできたのは、95年のカナダGP。トップを走行するミハエル・シューマッハ(ベネトン)がトラブルでリタイア。フランス人のアレジの優勝が、カナダのフランス語圏であるモントリオールだったのは単なる偶然とは思えなかった。そして、もうひとりは昨年のルイス・ハミルトン(マクラーレン)である。

荒れた展開がこういった喜ばしい結果ばかりを生むわけではない。アイルトン・セナが94年にレース中に事故死する以前、F1のレース中に発生した最後の死亡事故が、82年のカナダGPだった。97年にはオリビエ・パニス(プロスト)がタイヤウォールに突き刺さるようにクラッシュして、脚を骨折。赤旗が出されてレースが終了した。昨年はロバート・クビカ(BMWザウバー)の大クラッシュなどで4度もセーフティカーが出動し、2人のドライバーにレース中、失格処分が下されるという異例のレースとなった。

日本ともっとも時差が大きい北米大陸で行われる唯一のF1グランプリ。徹夜してでも、テレビにかじりついて観戦してほしい。

次回、GP Diaryは6月7日に更新の予定です。
お楽しみに。

歩み

2008年6月7日

予選を終えた後、いつものようにパドックを取材していると、トヨタのホスピタリティエリアでじっとサーキットに隣接する水辺を見ている人がいた。フランク・ダーニーである。シニアアドバイザーとして07年にパナソニック・トヨタ・レーシングに加入したダーニーは、F1界では知る人ぞ知る人物である。

76年にヘスケス・チームのデザイナーとしてF1界に入ったダーニーは、その直後にウイリアムズへ移籍。パトリック・ヘッドの右腕として空力部門を担当し、風洞施設を建設したり、アクティブサスペンションのデザインを手がけたり、のちにF1界のトレンドとなるようなアイデアを次々と導入していくのである。彼の加入によって、ウイリアムズは急速に力を付け、79年のイギリスGPで初優勝を遂げると、翌80年にはタイトル争いを演じるまでに成長する。

ウイリアムズのエース、アラン・ジョーンズと、この年熾烈なタイトル争いを演じたのは、今年ルノーからF1にデビューしたネルソン・ピケJr.のお父さんであるネルソン・ピケ(ブラバム)だった。ピケ54点対ジョーンズ49点で迎えた第13戦の舞台が、このカナダGP。場所も同じモントリオールだった。そして、このモントリオールでジョーンズにサインボードを提示していのが、デザイナーのダーニーだったのである。

このレースで勝利を収めたジョーンズはカナダGPの後の最終戦アメリカGPでも優勝して逆転でタイトルを獲得。チームにとってもうれしい初タイトルとなった。

その後、ロータス、ベネトン、リジェ、アロウズ、ローラを得て、02年に古巣ウイリアムズにカムバック。ウイリアムズの古豪復活に尽力したのち、07年にトヨタに移籍した。

あれから、28年の年月が経ち、眼鏡をかけ、頭には白いものもちらほらと見えるようになったダーニー。2台そろって第2セッションで脱落したこの日、ダーニーはどんな気持ちでモントリオールの水辺を見つめていたのだろうか。

次回、GP Diaryは6月8日に更新の予定です。
お楽しみに。

2つの約束

2008年6月8日

レース前、11番手からスタートするティモ・グロックと山科忠チーム代表は、2つの約束を行った。ひとつは「どんなことがあっても、必ずコース上にとどまること」。もうひとつは「そのうえでリアタイヤをしっかりとマネジメントすること」だった。

ストレートをヘアピンとシケインで結んだモントリオールのサーキット・ジル・ビルヌーブは、比較的高速タイプのサーキットであるにもかかわらず、エスケープゾーンがほとんどないためアクシデントが起きやすい。加えて近年は、路面の舗装に問題が生じ続けており、ドライバーに困難を強いるレースとなっている。05年から3年連続でセーフティカーが出動する荒れた展開は偶然ではなく、パナソニック・トヨタ・レーシングもそのような展開になることを想定し、1ストップ戦略を選択した。

しかし、それを機能させるためには、重要なポイントが2つあった。それが山科忠チーム代表とティモとの約束である。スタートでパナソニック・トヨタ・レーシングの2人が選択したタイヤはスーパーソフト。このタイヤは軟らかいゴムなのでグリップ力がある反面、グレイニング(ささくれ摩耗)が出やすいという欠点を持つタイヤである。そのため、もしも1ストップ作戦を敷く場合は、タイヤをいたわりながら走行することが重要となる。

スタート直後にチームメートにかわされ、さらに序盤にルーキーのネルソン・ピケ(ルノー)にオーバーテイクされたティモ。失ったポジションを取り戻そうと熱くなっていても不思議はなかった。しかし、彼は「前を追いかけてタイヤのパフォーマンスが一時的に悪くなったけれど、自分のピットストップが長いことはわかっていた。だから、それ以上悪くならないように、しっかりとマネジメントしながら走行するように努めたんだ」と、レース後語っているように、冷静なドライビングを披露するのである。

金曜日がウエットコンディションだったために、どのチームも本格的なロングラン走行はできておらず、タイヤのパフォーマンスダウンに関して正確なデータはなかった。つまり、70周のレースで1回目のピットストップを35周目以降にとるという1ストップ作戦は、勇気のいる戦略だった。パナソニック・トヨタ・レーシングも「もし、途中でラップタイムが急激に落ちるようなことがあったら、2ストップに切り替えることも頭に入れていた」(新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクター)という。

セーフティカーが途中で入ったことも、傷ついたティモのタイヤを復活させる要因となったのは確かである。しかし、多くのドライバーがミスを重ねた日曜日のモントリオールで、ティモが致命的な過ちを犯さず、コース上にとどまっていたことも確かなのだ。そして、それは簡単なようでアスファルトの表面が剥がれるという特異な現象が発生するモントリオールでは、もっとも難しい命題なのである。

「2つの約束を見事に守ってくれた。そのことがうれしい」と、レース後の山科代表。その笑顔が少し赤く染まって見えたのは、モントリオールの西日だけが理由ではなかったと思う。

次回、GP Diaryは6月13日に更新の予定です。
お楽しみに。

チームプレー

2008年6月13日

あらためてモータースポーツがチームスポーツであることを実感したカナダGPだった。もちろん、最終的に栄冠を手にするのはドライバーであり、ドライバーたちがコース上でバトルしていることを否定はしない。しかし、ドライバーは決してコース上でひとりで戦っているわけでもない。担当エンジニアが支え、時にはチームメートもサポートする。それがモータースポーツであり、F1というスポーツの奥の深いところである。

カナダGPでチーム創設以来の初優勝を飾ったBMWザウバー。BMWザウバーとしては06年から3年目での勝利であるが、その前身のザウバーは93年にF1に参戦したチーム。258戦目での快挙だった。最近10年間のF1で初優勝を遂げたチームは全部で3チームある。98年ベルギーGPのジョーダン、99年ヨーロッパGPのスチュワート、そして今回のBMWザウバーである。いずれのレースも波乱に波乱の展開となり、強豪チームが沈んでいった中でもぎとった初優勝だった。

これら3レースには、もうひとつの共通点がある。それは初優勝を遂げたドライバーだけでなく、チームメートもしっかりとトップを追走し、2台そろって表彰台に上がっているという点だ。つまり、初優勝した3チームが勝つことができたのは、単に荒れたレース展開に恵まれたからだけでなく、2人のドライバーが勝つことができるポジションをしっかりと走行していたことも忘れてはならない。

ロバート・クビカの優勝の影には、ニック・ハイドフェルトの巧妙なアシストがあった。もし、ハイドフェルトがあの位置を走行することなく、フェルナンド・アロンソ(ルノー)をしっかりと押さえていなければ、展開はもっと違っていただろう。97年にアロウズ・ヤマハを駆ってハンガリーGPで優勝を逃したデーモン・ヒルが、98年のベルギーGPで優勝できたのも、2番手にチームメートがいたことが大きなポイントではなかったか。99年の雨のヨーロッパGPでジョニー・ハーバートとともに表彰台に上がったルーベンス・バリチェロは3位だったが、2番手のヤルノ・トゥルーリ(当時プロスト)とバトルし、結果的にリーダーであるハーバートを逃がすという好アシストを演じた。

今季初めてダブル入賞したパナソニック・トヨタ・レーシングも、今回のカナダGPでは終盤まで2台が同じポジションを走行していた数少ないチームだった。残り数周というところで、ティモ・グロックがラインを外してヤルノ・トゥルーリが不利を被って4位と6位に終わったが、もしヤルノがあの位置を走行していなければ、ティモの4位もなかったかもしれない。ロングランのデータがない中、スーパーソフトタイヤで1ストップ作戦を成功に導いた影には、ヤルノの第1スティントの冷静な走りがあったことも忘れてはならない。F1生活12年目のベテランらしい、チームプレーだった。

次回、GP Diaryは6月19日に更新の予定です。
お楽しみに。