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Rd.12 ヨーロッパGP

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ブリッヂ

2008年8月21日

暑い日本を飛び立って、涼しいはずのヨーロッパに辿り着くつもりで成田を発ったのが、8月19日。しかし、19時間後に到着したバレンシアは日本のお盆ほどではないものの、日差しは強く、汗で湿ったシャツが背中にまとわりつくほど湿気も高かった。

それでも、サーキットに到着したボクが最初に行ったことは、クーラーの効いたプレスルームで休息を取ることでもなければ、そこで冷たい水を飲むことでもなかった。荷物をプレスルームに置いたボクが最初に向かったのは、コース。そう、サーキットを1周することだった。なんといっても、初めてのコース。しかも、できたばかりの市街地サーキットである。ボクと同じような考えを持った人は少なくなく、コースに出てみると、普段よりも大勢の関係者がコース上を歩いていた。

毎グランプリ、コースを自分の足で1周している新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターは、バレンシア・ストリート・サーキットの印象を次のように語っていた。

「ストップ・アンド・ゴーという部分ではモントリオールに似ていますが、最高速という点ではバーレーンに近いサーキットといえるでしょう」

バーレーンの最高速はホームストレートエンドで約310km/h。パナソニック・トヨタ・レーシングのシミュレーションでは、バレンシア・ストリート・サーキットの最高速はバックストレートエンドの12コーナー手前で、約320km/hとされている。しかし、おそらくフリー走行でさまざまなダウンフォースレベルを試して、最終的にはバーレーンと同じ310km/hあたりに落ち着くのではないかと予想しているという。

ちなみに同じような市街地サーキットであるアルバートパークは、最高速が平均で約302km/hとバレンシアよりもやや低い。モントリオールは平均で約316km/hと最高速では似たポジションとなっている。しかし縁石の高さという点では、モントリオールは全18戦でもっとも高いサーキットのうちのひとつ。その点、全体的にフラットなタイプの縁石が敷き詰められているバレンシアとは、キャラクターは似て非なるものである。エスケープゾーンも広く、かなりチャレンジングなコースだというのが、1周歩いてみての、ボクの印象だ。

そのサーキットの中でも、ボクがもっとも印象に残ったのは、コントロールラインからもっとも遠い場所となる9コーナーと10コーナーの間にある橋だ(写真左)。この橋は普段は開門されており、今回F1が行われるために閉められたものである。2つの路面をつなぎ合わせているのだが、構造上、どうしても途中に隙間が生じてしまう(写真右)。木曜日の時点では、この隙間を埋めるのかどうかでパドックでも話が二転三転していたが、いずれにしても多少の段差が生じ、バンプとなることは間違いない。

ここを抜けると最高速が出るバックストレートが待っているだけに、ドライバーは攻めていきたいところだが、足をすくわれる可能性もある難所となるのではないかと予想している。バレンシア・ストリート・サーキットのロゴマークを見ると、そこにはこの橋を思わせる架け橋がシルエットで描かれていた。勝利への架け橋となるのか、あるいは鬼門となるのか。全18戦で唯一の橋の上での戦いに注目したい。

次回、GP Diaryは8月22に更新の予定です。
お楽しみに。

半旗

2008年8月22日

基本的には、ボクは保険というものを自分に(もちろん他人にも)賭けるのは好きではない。だから、これだけ海外へ取材にでかけているにもかかわらず、数年前まではまったく海外旅行保険というものには加入したことがなかった。しかし、9.11の後に子供から「行かないで」と言われてから、その考えに変化が出てきて、いまでは成田から出発する直前に必ず保険に入るようになった。

日本から直行便がないスペインへの取材は、南米ほどではないものの、長旅となる。しかも、スペインGPが開催されるバルセロナよりも小さい都市であるバレンシアへは、ボクがヨーロッパ内でのハブ空港にしているフランクフルトからの直行便もなく、ヨーロッパ内でもう一度、乗り継がなければならない。ミュンヘン経由、バルセロナ経由もあるが、日本からの到着便の関係でボクのフライトはマドリード経由だった。スパンエアというスペインの航空会社を乗り継いでボクがマドリードを発ってバレンシアに向かったのは、8月19日の夜10時。フランクフルトから到着した午後8時ごろは、まだ西の空が明るく、バラハス国際空港の東にそびえ立っている台地が赤く染まっていた。

まさか、それから約13時間後にその空港で墜落事故という悲劇が起きるとは、想像もしていなかった。しかも、事故を起こした飛行機会社はボクが前日乗ったのと同じ。機体も同じMD82型だった。

事故が発生した翌日の8月21日の木曜日。ヨーロッパGP開幕前日のサーキットへ入ると、スペインの国旗が半旗になっていた。そして、ヨーロッパGP初日の最初のセッションが終了して30分経った正午に、ドライバーを含めた関係者が集まり、1分間の黙祷を捧げた。そして、黙祷を終えた瞬間、港に停泊していたクルーザーやヨットが一斉に汽笛を鳴らし始めた。

同じ飛行機に乗り、同じ空港を利用し、スペインにいる者として、冥福を祈らずにはいられなかった。

次回は8月23日に更新の予定です。

200戦

2008年8月23日

「これまでF1で戦ってきた中で、忘れられない思い出は97年のハンガリーGP。ブリヂストンのタイヤを履いたデーモン・ヒルが、初めてF1でトップを走行したレースです」

そう述懐するのは、このヨーロッパGPでF1参戦200戦目を迎えたブリヂストンの浜島裕英MS・MCタイヤ開発本部長である。そして、こう続けた。

「やっぱり初めてというのは、忘れられない思い出となりますね。だから、その次に忘れられない思い出はと聞かれれば、やっぱりわれわれにとって初めてのポールポジション、そして勝利を挙げることができた、98年のオーストラリアGPでしょうね」(浜島本部長)

そんな浜島本部長の心臓を締め付けるようなレースとなったのが、05年のアメリカGPだった。ミシュラン勢がタイヤにトラブルを抱えたため、フォーメーションラップ中にピットインして、棄権したレースである。

「危険だという理由からライバル勢がいないレースで、もしもわれわれのタイヤにもトラブルが発生したら、『それ見たことか!!』と非難されるのがわかっていましたから、緊張しっぱなしでした。あんなにレース中、タイヤのデータを確認したレースはありませんでした」(浜島本部長)

ブリヂストンにとって、200戦目を迎えることとなった今回のヨーロッパGP。記念すべきグランプリにもかかわらず、グランプリ開幕前日にお会いした浜島本部長の顔は、タイヤ戦争が行われていたときと同じ険しい表情だった。それは、このバレンシア・ストリート・サーキットがブリヂストンにとって初めてのコース。しかもレース中に、あるドライバーにパンクが発生した前戦ハンガリーGPと、同じスペックのタイヤが投入されることとなっていたことが、関係していたのではないだろうか。勝利と同じくらい、いやそれ以上に安全を優先するのが浜島本部長であり、ブリヂストンのフィロソフィでもある。

それは200戦目のレースを翌日に控えた土曜日の予選後に語っていた、こんな言葉からもうかがえる。

「明日の200戦目のレースも、安全第一。とにかく無事に走りきってもらいたい」(浜島本部長)

ブリヂストンのモーターホームの前には、ゴールドに塗られたタイヤが2つ飾られていた。よく見ると、そのタイヤにはF1ドライバー全員のサインが記されてあった。勝利の数より多くの信頼が刻まれているタイヤで、200戦目のレースがスタートしようとしている。

次回は8月24日に更新の予定です。
お楽しみに。

best ever...

2008年8月24日

スタートがうまくいって1周目にいきなり3つ順位を上げたティモ・グロック。そのころパナソニック・トヨタ・レーシングのピットウォールでは、レースエンジニアたちがレース戦略を巡って二転三転していた。

13番手からスタートしたティモの燃料タンクには、約30周分の燃料が搭載されていた。ヨーロッパGPは57周で行われる。つまり、1回ストップ作戦が可能だったのである。しかし、バレンシア・ストリート・サーキットは初コース。レースディスタンスのデータがない。さらに今回投入されたタイヤはソフトと、それよりもうワンランク軟らかいスーパーソフト。現在のルールでは、2種類のタイヤをレースで必ず1回は装着しなければならない。しかも、理論上は2回ストップが速い。スーパーソフトで約30周を走行する1ストップ作戦は勇気のいる作戦だった。

スタート直後にポジションを上げたことで、エンジニアたちが保守的になるのも、無理はなかった。しかし、最終的にチームは勝負に出たのである。

「土曜日の予選は残念な結果に終わりました。ヤルノは予選前にトラブルが発生したため、ティモのセッティングを移植してぶっつけ本番でタイムアタックを行っての予選7位。ティモは予選第2セッションのアタックで、2回ともブレーキングミスがあり、それぞれコンマ4秒のタイムをロスしていました。あれがなければ、第3セッション進出は間違いなく、そこでもトップ5には入るだけのスピードがあった。予選ではわれわれは(表彰台を獲得した)クビカよりも速くアタックできていたと思うだけに、本当に残念です」

そう語る木下美明TMG副社長は、今後の予定を次のように語ってくれた。

「本来であれば、日本GPが終わってから中国GPに行って、最終戦のブラジルGPはTMGで仕事する予定でしたが、今年はブラジルへ行きます。その理由は、シーズン終盤に入ってライバル勢の開発が来シーズンにシフトし、いまだ開発の手を緩めていないわれわれとの差がぎゅっと縮まっているのが目に見えてわかるからです。われわれはいま開発陣と現場が一体となって、とてもいいムード。最終戦では表彰台の頂点を目指す戦いができるかもしれないですから」

この日、バレンシアで2台そろってポイントを獲得したチームを、山科忠チーム代表は次のように評した。

「今シーズン2回表彰台に上がったレースは、クルマのポテンシャルをドライバーが上手に引き出した結果。しかし、今回はドライバーのミスをチームがサポートしてライバルたちとバトルしてポイントを取り返したレース。表彰台を獲得したレースにも負けないくらい、最高のレースをチームはやってくれた」

表彰台には上がっていないが、ボクの中ではバレンシアでのヨーロッパGPが今シーズン『ここまで』のベストレースである。

次回は8月29日に更新の予定です。
お楽しみに。

苦言

2008年8月29日

「表彰台を獲得したレースにも負けないくらい、最高のレースをチームはやってくれた」と、笑顔でヨーロッパGPを締めくくった山科忠チーム代表。しかしその直後、山科代表は木下美明TMG副社長に、「あとでティモを私のところに連れてきてほしい」と耳打ちした。

直後にフジテレビのゲストコメンテーターとしてバレンシアを訪れていたタレントの山田優さんが、ダブル入賞のお祝いを兼ねて、トヨタのモーターホームにやってきたため、話はいったん途切れた。しかし、木下副社長に耳打ちしたときの山科代表の顔が、ダブル入賞したチームの代表とは思えないほど険しいものだったので気になって、木下副社長にしばらくしてから尋ねてみた。すると、木下副社長は次のように説明してくれた。

「ティモはまだGP2から抜け切れていないというか、まだ若いところがあって、山科さんはそれを注意したいんだと思います」

予選でミスしたことなのか。あるいはレースでの走りに何か注文でもあったのか。話を飲み込めないでいるボクの顔を見てか、木下副社長はさらに突っ込んだ説明をしてくれた。

「ヨーロッパGPに入ってから、ティモが体調を崩したのはご存じですよね」

チームリリースで、「昨晩急にひどい風邪に見舞われ、気分があまり優れなかったのだけど、それは言い訳にはならないね」(土曜日予選後)、とティモ・グロック自身が触れているように、金曜日の夜からティモは風邪をこじらせてしまったのである。幸いパナソニック・トヨタ・レーシングには優秀なフィジオがおり、ティモはなんとかレースに参加できる状態を維持し、レース棄権という最悪の事態は避けることができた。しかし、「ここ2日間、とてもひどい風邪を引いており、今日はいままでで最も辛いレースのひとつだった」(ティモ/日曜日レース後)というように、万全の状態だったとは、とてもいえなかったのである。

「プロとして、まだ甘い部分があるんですね、ティモには。そういう点では昨年までウチにいたもうひとりのドライバーは、徹底していた。例えば、ファンとの握手なんかも極力控えていたほどでした。人の手に付いている雑菌から感染するというのは、意外と多いんですよ」(木下副社長)

確かに水曜日にサーキットを1周していたとき、ドイツのテレビ局の取材でティモがコースの印象をコメントしているシーンを見かけた。表彰台に上がってからはファンだけでなく、メディアからも注目され、GP2以上にティモの生活は多忙になり、不特定多数の人たちと接する機会が多くなっているはずである。そのことを「自覚し、戒めよ」と、山科代表はティモに伝えたかったのではないだろうか。

ダブル入賞した雰囲気に浮かれることなく、言うべきことは言う。叱るべきときは叱る。そんな、苦言を呈することができる関係が代表とドライバーの間でしっかりと築かれていたことに、正直ボクは驚いた。そしてそのことが、ボクがダブル入賞したことよりも、山科体制のチームにポテンシャルを感じている点でもある。

次回Diaryは9月4日に更新の予定です。
お楽しみに。