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Rd.17 中国GP

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GP2アジア開幕

2008年10月16日

「日本GPが終わって、気分的には『ホッと一息』といった感じです」

上海インターナショナルサーキットで4日ぶりに再会した中嶋一貴(ウイリアムズ)は、そういって笑みを見せた。日本人レギュラードライバーとして、今年ただひとり富士スピードウェイに戻ってきた一貴。そのプレッシャーがいかに大きかったかは想像に難しくない。シンガポールGPを終えた直後に帰国した一貴は、10月4日からほとんど毎日のようにイベントに引っ張り出され、日本GPへの意気込みを繰り返し聞かれていたのだから、意識しないほうがおかしいというもの。レース後も月曜日からイベントに出席したり、取材を受けたりして、休む暇もないまま火曜日に上海へ。水曜日は、久しぶりにトレーニングしたり、友人と食事をしたり、ホッと一息していたという。

その上海で、すでに新しいシーズンに向けて、新たなスタートを切ろうとしている日本人がいる。一貴と同様、TDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)の一員として、そして今年のパナソニック・トヨタ・レーシングのサードドライバーとしてテストを担当しながら、GP2シリーズに参戦していた小林可夢偉である。

年頭のGP2アジアシリーズで2勝を挙げ、メインシリーズ緒戦のスペインラウンドで日本人初優勝を飾った可夢偉。しかしその後、歯車が噛み合わずに目立った成績を残せないまま、ランキング16位で初めて臨んだGP2シリーズを終えることとなる。早ければ、日本GPでスポット参戦する可能性もあると感じていたボクにとって、GP2のユニホームを着ている可夢偉との上海での再会は、春先には想像もしていなかったことなのだ。しかし08年シーズンに、可夢偉がF1へステップアップするための成績を残せなかったことは事実であり、これがレース界の現実でもある。

その可夢偉が上海から新しいシーズンをスタートさせる。エントリーするレースは、GP2シリーズのアジアラウンド(08年-09年シリーズ)。今年の春先にスタートしたシリーズのGP2アジア。この中国GPが2年目の開幕戦となった。そして、そのエントリーリストに3人の日本人ドライバーとともに、名前が記されていた可夢偉。

日本GPは終わった。しかし、彼らの戦いはまだ終わっていない。

次回は10月17日に更新の予定です。
お楽しみに。

チャレンジ

2008年10月17日

「あんなことを書いて、取材活動に支障は出ないですか?」。日本GP明けにこんなメールをいただいた。その方が指摘している原稿は、もちろん10月12日付けのDiary「チャンス」である。このサイトをご覧になっている方からも、多くの意見を頂戴した。この場を借りて感謝したい。

ところで、そんなことを書いたボクだが、その後4日間、内心はハラハラしていたことも事実である。というのも、レース直後にボクは山科忠チーム代表や新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターに「戦略にもう少し考える余地はなかったのですか?」と富士スピードウェイで直接、尋ねていたからである。そして双方から「作戦にミスはなかった」という答えを聞いたうえで、あえてあのテーマで、あのような原稿を発表したからである。それは、半ば首脳陣に、このサイトを使って異議を申し立てていたのと同様のことをしていたようなもの。かなりチャレンジングなことをしたと思う。だから、上海で顔を合わせるのが、怖くないといったら嘘だった。

ところが、そんなボクにある雑誌社から、山科代表にインタビューを行う仕事が舞い込んできた。そして、金曜日にインタビューがセッティングされたのである。インタビューのテーマは、08年シーズンを振り返ってのパナソニック・トヨタ・レーシングの評価だった。インタビューの最後に「来シーズンの課題は何ですか?」と尋ねたら、山科代表は次のように答えてくれた。

「勝ちに行く積極性ですね。例えば、富士でわれわれはリスクを背負ってでも、もっとアグレッシブな作戦を採るべきだった」

なぜ、富士スピードウェイでそれができなかったのか。そして、なぜレース直後にはそう答えることができず、4日後に心変わりしたのかは、別の雑誌社の取材の席で聞いたことなので、申し訳ないがここではこれ以上書かない。しかし、そのひと言を聞いて、ボクは安心した。

安心したのは、山科代表がボクの記事を見て怒っていなかったからではない。「勝つ」ためにいま何が一番このチームに足りないかを理解している人が、少なくとも1人以上このチームにいて、その人がトップだったことである。人間はミスを犯す動物である。しかし、同時にミスから学ぶ生き物でもある。

「残り2戦。われわれには失うものはない」と語った山科代表。失敗を恐れず、勝利への道を歩んでほしい。

次回は10月18日に更新の予定です。
お楽しみに。

政治

2008年10月18日

ボクは経済的なことと政治的な話に、あまり興味はない。だから、これまでもこのDiaryで、ほとんどその類の話題に触れたことはなかったと思う。しかし、F1というのは年間数百億円という莫大な活動資金が費やされており、そのお金を有効に使うためには政治的な動きが必要であることも事実である。そんなことを象徴するニュースが、上海インターナショナルサーキットのプレスルームで仕事をしているボクたちに舞い込んできた。

それは、エンジンを2010年から統一した規格にしようというものである。これは中国GPの初日フリー走行2回目終了間際になって、一斉にプレスルームにFIAから配信された。その声明文の内容は、次の通りだった。

「FIAは本日、2010年、2011年、2012年のFIA F1世界選手権に参加する者たちに対して、統一したエンジンおよびトランスミッションシステムを供給する第三者機関を設けるべく、その入札手続きを開始することにした」

これに関しては、後日詳細が追加発表されることになっているので、ここではあまり踏み込んだ意見は言えない。けれど、トヨタをはじめF1に参戦している6つの自動車メーカーが、第三者が開発したエンジンを搭載することは極めて考えにくく、これには何か政治的な思惑があるとしか思えないのである。

この件に関して、あるチームのF1関係者も次のように語っている。

「この間まで『エンジンの開発は2012年まで凍結する』と言っていた人が、最近になって『2011年から新しいエンジンにする』と言いだし、今日になって今度は『入札制にする』と言ってきている。今朝決まったことが、その日の夜に変わってしまうのが、いまのF1。だから、こんなことにいちいち付き合っていられない。でも、もし本気でこんなことをゴリ押ししようとしたら、きっと自動車メーカーはみんなF1から去るでしょう」

この発表が、自動車メーカー側から何か譲歩を得るための手段であることを切に願いたい。

次回は10月19日に更新の予定です。
お楽しみに。

コンストラクターズ

2008年10月19日

コンストラクターズ選手権4位が確定した。その座を獲得したのは、ルノーだった。中国GPでダブル入賞を果たして72点まで得点を伸ばしたルノーとパナソニック・トヨタ・レーシングの差は20点。最終戦でたとえトヨタが1-2フィニッシュを果たしても18点しか獲得できず、逆転不可能となったからである。

しかし、そのルノーとヨーロッパラウンド最終戦となった第14戦イタリアGP終了時点で、パナソニック・トヨタ・レーシングは同じ41点を獲得していた。つまり、イタリアGP後の3戦で、その差が一気に広がったことになる。その最大の要因が05年と06年のチャンピオンであるフェルナンド・アロンソのシンガポールと日本GPでの連勝にあったことは、間違いない。

だが、開幕3戦でコンストラクターズ選手権6位にいたルノーが4位まで浮上した理由は、それだけではない。元チャンピオンチームとしての自信が、ルノーにきちんと備わっていて、重要な局面でそれをしっかりと発揮したからにほかならないと思う。

例えば、日本GPでの戦い方である。通常であればピットストップのタイミングは、同じようなペースで走っていれば遅いほうが有利とされている。しかし、日本GPで1回目のピットストップでアロンソの燃料搭載量を軽くし、それまでトップを走行していたロバート・クビカ(BMWザウバー)の前でコースに復帰させたルノー。アロンソは軽い状態で速いラップを刻み、一気にクビカを引き離しにかかったことは、10月12日のDiaryでも書いた。

「そういう作戦を採るには、まずわれわれが自分たちのクルマの性能とドライバーの能力に自信を持っていないとできません」。そう語るのは、TMGのある首脳である。「まだわれわれにはその自信がない。だから、どうしてもコンサバな戦略を採ってしまう傾向があるんですね。でも、フタを開けてみたら、アグレッシブな作戦を採っていれば、『行けた』っていうレースが少なくなかった。富士はすごくチャンスだったんですが……」

もうひとつルノーがパナソニック・トヨタ・レーシングに勝っていたのが、セットアップ能力である。中国GP2日目の午前中フリー走行3回目で、5番手と好調だったヤルノ・トゥルーリ。ルノーはネルソン・ピケJr.が11番手、フェルナンド・アロンソは16番手だった。ところが、予選でヤルノは失速する。逆にルノーはピケJr.が第2セッションでティモ・グロックを上回っただけでなく、ヤルノにも肉薄。アロンソはコンマ3秒ヤルノより速いタイムを叩き出して、余裕で第3セッションへ進出するのである。この結果を前出のTMGのある首脳は次のように分析した。

「さすがルノーだと思いました。好天に恵まれた土曜日の予選で、彼らは路面コンディションが改善することを想定したセッティングにしていたようです。われわれは変化し続ける路面にその都度、セッティングを変えていった。結果的に後手を踏んだわけです」

4位でフィニッシュしたアロンソと7位のティモとのレース中のベストタイムの差は、わずか0.127秒。クルマが持っているパフォーマンスの差に、ルノーとトヨタは大きな違いはない。しかし、そのクルマを使って予選とレースをいかに戦うかという部分では、ルノーに一日の長があったわけである。そして、その差がコンストラクターズポイント20点ということなのだろう。

シーズン4位という座はルノーに明け渡したが、最終戦でルノーに勝つことは可能である。そして、その戦いは来年につながる戦いでもある。悔いの残らない戦いを演じて、08年を締めくくってほしい。

5年目

2008年10月24日

「正直、今日はエキサイティングなレースじゃなかったかもしれないね」。レース後にそう語ったのは、中国GPを2位でフィニッシュしたフェリペ・マッサ(フェラーリ)である。なぜ、マッサは退屈なレースを送らなければならなかったのだろうか。それは、上海インターナショナルサーキットでフェラーリF2008が、優勝したルイス・ハミルトンのマクラーレンMP4-23よりも遅かったからだけではなかった。スピードでマクラーレンに太刀打ちできないとわかっていながら、戦略面でマクラーレンに揺さぶりをかけることなく、レースを終えたためである。

中国GPでマクラーレンが速いことは、走り始めからわかっていたことだった。フリー走行1回目でいきなり1分35秒台をマークしたハミルトン。このとき2番手はマッサだったが、その差はコンマ4秒と断トツの速さだった。フリー走行2回目もトップタイムをマークしたハミルトン。この時点で、翌日の予選でハミルトンがポールポジションにもっとも近い場所にいることは明白だった。スピードで劣るフェラーリが、レースでマクラーレンを逆転するには、かなり大胆な戦略を採る必要があった。それは、予選でなんとしてでも2台のうち1台は、ハミルトンの前のポジションを得ることだった。

もし、スピードに勝るハミルトンがポールポジションを獲得すれば、レースは序盤からハミルトンが逃げまくることが予想できたからである。ラップタイムペースが遅いフェラーリとしては、なんとしてでもハミルトンを、レースで自分のペースで走らせてはいけなかったのである。ところが、予選の第3セッションでフェラーリが搭載した燃料は、2台ともほぼ同じ。しかも、その量はハミルトンとも似たようなものだった。

もし、フェラーリがチームプレーでマッサを援護するのであれば、予選でキミ・ライコネンをもっと軽い燃料にして第3セッションをアタックさせるべきではなかったか。予選でのハミルトンとライコネンの差はコンマ3秒。3周分燃料を軽くしていれば、ポールポジションは届かないポジションではなかった。ハミルトンの前にくさびを打っておいて、その上でスピードではかなわないマッサの燃料をハミルトンよりも重めに設定してスタートさせていれば、展開は違ったものになっていたかもしれない。

燃料が軽いライコネンがスタート直後の1コーナーを制し、要所でハミルトンを抑える走りができれば、トップから3番手のマッサまでが団子状態で続いていたと思われる。そうなっていれば、ハミルトンより燃料を重くしているマッサが1回目のピットストップで逆転することは可能だった。

もちろん、それを実行したからといって、あの日のハミルトンなら、それをはね除けて優勝していたかもしれない。予選でポールポジションを獲っていたかもしれないし、スタートで先頭に立っていたかもしれない。それほどのスピードが上海でのハミルトンとマクラーレンにはあった。しかし、何もしないで(申し訳ないが、そう見えた)2位と3位になるのなら、多少ギャンブルしてでも、違った戦略でマクラーレンをかく乱するような作戦を2台に与えていても良かったのではないか、というのがボクの感想である。

そうしていれば、マッサが「今日は、エキサイティングなレースじゃなかった」と発言することもなかったのではないだろうか。過去4年間で3度、上海を制しているフェラーリらしからぬ黒星。と同時に、初めて上海の表彰台の頂点に立ったマクラーレンの強さばかりが目立った5年目の中国GPだった。

次回は10月31日に更新の予定です。
お楽しみに。