5位以上
2008年10月30日
21年ぶりに三つ巴戦でタイトル争いが繰り広げられた昨年の最終戦から一年。今年は三つ巴戦ではないものの、最終戦は昨年に続いてタイトル決定の舞台となった。
ルイス・ハミルトン(マクラーレン)がタイトルを獲得すれば、06年にフェルナンド・アロンソ(ルノー)が達成した記録を更新して、F1史上最年少のチャンピオンが誕生することとなる。またフェリペ・マッサ(フェラーリ)が逆転してタイトルを獲得すれば、アイルトン・セナ以来17年ぶり、通算4人目のブラジル人王者が誕生することとなるが、地元ブラジルでタイトルを決定するのは今回が初めてとなる。どちらが勝つにしても、歴史的には大きな意味を持つ一戦となることは間違いない。
それでは、両者のタイトル獲得の条件をあらためて整理しておきたいと思う。まず前戦中国GPでドライバーズポイントを94点として、7点リードで最終戦に臨むハミルトンである。
1)5位(4点加点)以上の場合(ハミルトン98点)→マッサの順位に関係なくタイトル確定(マッサが優勝しても97点のため)
2)6位(3点加点)の場合(ハミルトン97点)→マッサは2位(8点加点)以下で合計95点以下
3)7位(2点加点)の場合(ハミルトン96点)→同上
4)8位(1点加点)の場合(ハミルトン95点)→マッサは3位(6点加点)以下で合計93点以下(マッサが2位だと95点で同点となり、その場合上位入賞回数で決まり、優勝が同回数で、2位はマッサが3回、ハミルトンは2回となるため)
5)9位以下の場合(ハミルトン94点)→同上
逆に87点で地元決戦に臨むマッサを主観にして、タイトル獲得の条件を整理すると、以下のようになる。
1)優勝(10点加点)した場合(マッサ97点)→ハミルトンは6位(3点加点)以下で合計97点以下(97点同士となった場合、上位入賞回数で決まり、優勝回数でマッサがハミルトンを1回上回るため)
2)2位(8点加点)の場合(マッサ95点)→ハミルトンは8位(1点加点)以下で95点以下(95点同士で並んだ場合、上位入賞回数で決まり、優勝が同回数で、2位はマッサが3回、ハミルトンは2回となるため)
3)3位(6点加点)の場合(マッサ93点)→ハミルトンが無条件でタイトル獲得
つまり、マッサが逆転するためには、まず2位以上でフィニッシュしなければならず、そのうえでハミルトンが8位か6位以下にとどまるという厳しい条件となっている。ハミルトンにとって嫌なデータは、同点になるようにケースだ。例えば95点(マッサ2位&ハミルトン8位)、97点(マッサ優勝&ハミルトン6位)となったとき、上位入賞回数が多いドライバーが上位となるが、いずれの場合もマッサが優位に立つ。それゆえ、ハミルトンは点差がもつれるような順位での決着は避け、マッサの順位に関係なく自力優勝できる5位以上でフィニッシュしたいところだろう。
ところが、今年のハミルトンは優勝5回、2位2回、3位3回、4位0回、5位2回、6位0回、7位1回、8位0回、9位以下4回という成績。6位以下に沈む確率が29%と約3割のレースで7位以下に終わっており、ポイントリーダーだからといって5位以上に入ることが必ずしも容易だとは言い切れないのである。
その4回のレースを振り返ってみると、フェルナンド・アロンソ(ルノー)に追突して13位に終わったバーレーンGP、ピットレーンでキミ・ライコネン(フェラーリ)に追突してリタイアとなったカナダGP、ペナルティを受けて後方からの追い上げを余儀なくされたフランスGP(10位)と日本GP(12位)である。つまり、レースでミスを犯して一度後退すると、ハミルトンでも簡単にはポジションを挽回できないのが今年のF1の特徴。それはトヨタを含むセカンドグループ争いがそれだけ激しかったということでもある。
「5位以上でチャンピオン」と巷では、早くもハミルトンがタイトルを獲得するような雰囲気が漂っているが、ハミルトンといえども5位以上でフィニッシュするためには、金曜日から日曜日のレース終了まで、ほぼノーミス、ノートラブルで乗り切らなければならない。そしてそれが、決して簡単ではない任務でもあるということを、忘れてはならない。
次回は10月31日に更新の予定です。
お楽しみに。
溝付きタイヤ
2008年10月31日
最終戦のブラジルGPは、単にそのシーズンの最後のレースが行われる場というだけでない。グランプリを戦ってきたものたちの中では、このブラジルGPがラストレースとなる特別な場所でもある。その中のひとつに、溝付きタイヤがある。
スリックタイヤに代わって、溝付きタイヤがF1界に登場してきたのは、98年シーズンのことだった。当初はフロントタイヤの溝は現在より1本少なく、3本だった。そして、溝付きタイヤとともに、F1界の一般常識として登場してきたのが、グレイニング(めくれ摩耗)である。溝の角からトレッド面のゴムが剥がれて表面がめくれていく症状は、スリックタイヤなど、ほかのタイヤでも起きうる現象ではある。しかし、溝付きタイヤではそれがより顕著に現れるのだった。
トレッド面のゴムがめくれれば、グリップ力が落ちる。すなわち、ラップタイムが遅くなる。そのため、タイヤメーカーにとっては、いかにグレイニングを発生させないタイヤを開発するのかが、ポイントとなった。溝付きの開発は、グレイニングを発生させないタイヤづくりとの戦いでもあったわけだ。そして、タイヤメーカーがグレイニングを発生させないような開発を続けてきたのと同様に、チームとドライバーもまたグレイニングを発生させないセットアップをいかに早く見つけるかが、レースに向けてのポイントだった。つまり、98年から11年間のF1は、グレイニングを制するものが、レースを制してきたのである。
その溝付きでの最後のF1となったブラジルGP。その初日、この11年間を象徴するかのように、多くのドライバーがグレイニングに苦しんでいたのは印象的だった。グレイニングは溝付きタイヤの宿命でもあるが、特に路面がグリーンな(路面にラバーが乗っていない滑りやすい)状態や、想定よりも路面温度が低くてグリップ力がなかなか発揮できない状態で発生しやすい。ブラジルGP初日は気温17℃、路面温度も25℃にも達しない低温の中でフリー走行が行われたことが、グレイニングを助長させたわけだ。
このコンディションは土曜日も変わりなく、予選はグレイニングへいかにうまく対処できているかがポイントとなりそうだ。日曜日に至っては降水確率が50%~70%と予報されており、最後のレースで溝付きタイヤの出番はなく、ウエットタイヤでレースが行われる可能性もある。ウエットレースはドラマチックな展開になることが多いので嫌いではないが、最後の舞台となる今回だけは、溝付きのドライタイヤで、タイトル争いの雌雄を決してほしいものである。
次回は11月1日に更新の予定です。
お楽しみに。
惜別
2008年11月1日
11月1日、インテルラゴス。最終戦ブラジルGPの決勝レースを翌日に控えたサーキットは、いつも独特の雰囲気に包まれる。そのパドックにレース人生のフィナーレを迎えようとしている人物がいた。リチャード・クレーガン。パナソニック・トヨタ・レーシングのチームマネージャーである。
クレーガンとトヨタのつながりは長い。彼がトヨタに入ったのは84年。当時ラリーを戦っていたトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)に、21歳の若さでメカニックとして加入したのが始まりだった。その後、TTEがル・マンのプロジェクトをスタートをさせるとオペレーションマネージャーとして優れた手腕を発揮。その仕事ぶりが評価され、99年にトヨタがF1参戦の準備を開始すると、オベ・アンダーソンの右腕として、F1オペーションのゼネラルマネージャーを務めるようになる。そして、04年に前任のアンジェ・パスカリが離職したことにともない、チームマネージャーを兼任。現在に至っている。
チームマネージャーという仕事は、チーム全体をまとめるという多忙な任務である。毎グランプリ、木曜日の夕方5時半すぎに、パナソニック・トヨタ・レーシングはレースチームスタッフ全員がガレージに集いチームミーティングを行う。そこで、そのミーティングの進行を行ってきたのが、クレーガンだった。調子がいいときは問題ないが、思うような成績を挙げられないシーズンはスタッフのモチベーションを保つことは簡単なことではなかったはずだ。
それでも、クレーガンはスタッフたちを鼓舞し続け、トヨタウェイをバランス良くF1に取り入れて、地道なチーム力強化を図っていった。果たして、08年チームは上昇に転じるのである。そして、クレーガンは新しい道を歩むことを決断する。来年初開催されるアブダビGPを成功させるべく、そのスタッフの一員として、中東に赴任するのである。
レース前、クレーガンに「パナソニック・トヨタ・レーシングのスタッフとして、もっとも記憶に残っているレースはどれですか」と尋ねた。するとクレーガンは「02年の開幕戦。そう、我々のデビュー戦だよ」と即答した。理由はいきなり入賞したからではない。「ゼロからスタートしたF1への参戦。困難なこともたくさんあったけど、レースでは、完走へ向けてみんながひとつになっていた。あの雰囲気はいまも忘れられない。私はこのレースでチームを離れるが、私の気持ちはいつまでもパナソニック・トヨタ・レーシングと共にある。アブダビで強くなったトヨタと再会するのを、楽しみにしているよ」(クレーガン)
25年間のトヨタでのモータースポーツ生活、そして6年間のパナソニック・トヨタ・レーシングでのF1生活。6年前のデビュー戦とともに、日曜日のラストレースがクレーガンにとって、最高の思い出となることを願っている。
次回は11月2日に更新の予定です。
お楽しみに。
ファイナルラップ
2008年11月2日
「僕は僕のレースをしたまでで、だれがチャンピオンになるのかなんて、考えている暇はなかったよ。とにかく、コース上にクルマをとどめることで精一杯という状況だったからね」
タイトル決定戦となった最終戦ブラジルGPは、だれもが予想できない劇的な幕切れでルイス・ハミルトン(マクラーレン)がチャンピオンに輝いた。ラスト3周でセバスチャン・フェッテル(トロ・ロッソ)に抜かれて6番手に降格したとき、だれもがトップを独走するフェリペ・マッサ(フェラーリ)が逆転でタイトルを取るものと考えたに違いない。ところが、ファイナルラップの12コーナーで4番手を走行していたドライバーをフェッテルとハミルトンが相次いでオーバーテイクして、ハミルトンが5番手に浮上してチェッカーフラッグを受けたのである。ゴールまでコーナーは残り4つ。距離にして約1.3kmで起きた奇跡だった。そして、そのハミルトンにオーバーテイクされたドライバーが、ティモ・グロックだった。
レース直後のパドックでもっとも注目を集めたのは、もちろん史上最年少でチャンピオンになったハミルトンであり、優勝しながら惜しくもタイトルを逃したマッサだったが、グロックもまたレース後は多くのメディアに囲まれていた。特にマッサの地元ブラジルやフェラーリの地元イタリアのメディアは「なぜ、ウエットタイヤに履き替えていなかったのか」とか、「ハミルトンをブロックすることはできなかったのか」という論調の質問を、次々とティモにぶつけていた。その質問にティモはしっかりと答えていた。
「確かに結果的にはドライタイヤを履いていた僕が、ウエットタイヤを履いていたハミルトンに抜かれて、ハミルトンがチャンピオンになったわけだけど、僕がハミルトンのタイトル獲得をアシストしたとは思っていないよ。だって、もし僕がみんなと同じようにウエットタイヤに交換していれば、僕はそもそもラスト5周でハミルトンの前に出ることはなかったんだから」
残り8周あたりから降り出した雨。その時点でレースを走行していた18台のうち16台がドライタイヤからウエットタイヤに交換する中、パナソニック・トヨタ・レーシングの2人はドライタイヤのままでレースを続行していたのである。確かにあの時点でドライからウエットにタイヤを交換するのは妥当な戦略だった。だからといって、トヨタが下した作戦が無謀だったとは思わない。
ファイナルラップに入るコントロールラインをティモが通過したとき、ハミルトンはまだ13秒後方を走っていたのである。70周目のティモのラップタイムは1分28秒041。一方、ハミルトンは1分25秒567。普通に考えれば、逃げ切れる状況だった。トヨタにとって誤算だったのは、雨脚が強くなるタイミングが予想よりも若干早かったこと。あと20秒ほど雨脚が強くなるのが遅ければ、逃げ切れただろう。しかし、レースに「たら・れば」は禁物。それでも4位は逃したが、雨が降る前よりポジションを1つ上げて6位でチェッカーフラッグを受けたティモとパナソニック・トヨタ・レーシングが採った作戦は十分に機能し、賞賛されてもいい勇気のいる作戦だった。
ところが、それが結果的にハミルトンのタイトルをアシストした形に映ったため、やり場のない怒りに満ちたブラジルやイタリアのメディアの中には、ティモを「戦犯扱い」する者が少なからずいた。しかし、それは見当違いで、むしろティモとトヨタが雨の中、勇気のいる作戦を英断したからこそ、ブラジル人やマッサのファンは残り3周の間、マッサの逆転タイトルを夢見ることができたのである。
「あのような状況で思い切った作戦を選択したチームと、ファイナルラップでかなり厳しい状況に陥りながらも、コース上にクルマをとどめ、かつ雨が降る前に走行していたポジションと同じか、それより前でフィニッシュした2人のドライバーを、私は誇りに思っています」
レース後の会見で語った新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクター。ボクも同感である。
次回は11月7日(金)に更新予定です。
お楽しみに!
最終戦
2008年11月7日
11月2日のDiaryは、ティモ・グロックがルイス・ハミルトン(マクラーレン)にオーバーテイクされたことに終始したため、もうひとつの大切なことを書きそびれた。それは、なぜ3年ぶりのフロントロウからスタートしたブラジルGPで、パナソニック・トヨタ・レーシングが表彰台を逃したのか、である。
ポイントとなったのは、1回目のピットストップ。ピットインする前のヤルノの順位は、1周前にトップのフェリペ・マッサ(フェラーリ)が先にピットインしたため繰り上がってはいたが、事実上、2番手である。しかし、ピットアウトしてみると、ヤルノのポジションは6番手に下がってしまった。先にピットストップを済ませていたセバスチャン・フェッテル(トロ・ロッソ)、フェルナンド・アロンソ(ルノー)、ジャンカルロ・フィジケラ(フォース・インディア)に先を越され、同じタイミングでピットインしたキミ・ライコネン(フェラーリ)にも、ピットレーンでかわされてしまったからである。
ピットインするタイミングが遅すぎたのだろうか。確かにヤルノはほかのドライバーがピットインする中、最後までコースにとどまっていた。その理由を新居章年テクニカルコーディネーション担当ディレクターは「トップ集団にいる以上、ギャンブルはできなかった」と説明している。トヨタもタイヤ交換の必要性は十分に考えていた。それは、チームメートのティモが8周目にピットインしてウエットからドライタイヤに交換していることからもわかる。ただ、タイヤ交換したドライバーのラップタイムを見る限り、タイミング的にはあの状況ではまだスタンダードウエット(浅溝)タイヤのほうがドライタイヤよりもラップタイムが速かったことも事実だ。
例えば、ティモがタイヤ交換を済ませた翌周の9周目、コース上で最速タイムを出して走行していたのはヤルノだった。10周目になって、かなり早めにドライにスイッチしていたフィジケラとニコ・ロズベルグ(ウイリアムズ)の2人が、ようやくヤルノよりも速いペースを刻んでいるのを確認して、翌11周目にヤルノをピットインさせるのである。もう1周早くして、トップを走行していたフェリペ・マッサ(フェラーリ)がピットインした10周目に入っても良かったと思うが、ライコネンとルイス・ハミルトン(マクラーレン)も同じ周にピットインしていたのだから、トヨタが採った作戦を失敗とまでは言えない。現にピットアウトした直後にヤルノは1コーナーでオーバーランして、さらにスピンまで犯したのだから、あれより早いタイミングはリスクが大きすぎたのではないだろうか。
では、なぜポジションをあんなに落としたのか。モニターではタイトル争いを行っているハミルトンのピットストップ作業を映し出していたため、ボクはてっきりヤルノに相当重い燃料を積んだものとばかり思っていた。ところが、ヤルノの2度目のピットストップはライコネンと同じ43周目。もちろん、1回目のピットストップが路面コンディションの変化によって行われていたため、必ずしも空タンクの状態ではなかったから、2回目のピットストップのタイミングが同じだったとしても、1回目のピットストップでの燃料搭載量がまったく同じとは限らない。しかし、予選で上位を占めたドライバーの燃料搭載量に大きな差はなく、ボクの計算ではライコネンのほうが1周多く燃料を搭載してスタートしていた程度だと思われる。
にもかかわらず、ピットアウトでヤルノが出遅れたのは、給油作業にトラブルがあったからだ。じつはブラジルGPでは通常の給油スタッフがケガのため、レースでは代役が給油を担当。リグを抜く際にいつもより時間を要したのである。そして、作業がすでに完了してロリポップマンが出発の合図を出そうとしたときには、ライコネンはピットレーンを走行し始め、トヨタのピット付近に接近していた。そのため、ロリポップマンはロリポップを上げるのを躊躇せざるをえず、ライコネンの後塵を拝することとなった。そしてその直後、なんとかハミルトンの前でピットアウトさせるのである。
給油作業の遅れは、ティモの2度目のピットストップでも発生。静止時間14.5秒は明らかに長く、翌周ピットインしたマッサが9.4秒だったことを考えると、約5秒ロスしたと思われる。さらにこのロスでコースに復帰したティモはペースが遅いクルマの後ろに入ることとなり、さらにタイムをロス。チェッカーフラッグ時のハミルトンとティモの差が5.4秒だったことを考えると、「あのロスがなければ……」という悔やまれるミスだった。
レース後、新居章年DTCは「ヤルノは予選で一番軽かったわけじゃなかったからなあ……。もしドライだったら、今日は勝てたレースだった」と悔しがった。ハミルトンにオーバーテイクされたことよりも、レースに負けたことのほうが、ボクも悔しかった。そして、こんな気持ちになったのは、02年からパナソニック・トヨタ・レーシングを取材していて、初めてのことでもあった。来週にでも、09年の飛行機の手配を始めようと思う。
次回は11月21日に更新の予定です。
お楽しみに。